マーカーは萬助橋です。
萬助橋
[萬助橋(まんすけばし)は玉川上水に架かる橋のひとつで、東京都三鷹市と東京都武蔵野市の市境にある。万助橋とも表記する。
三鷹市下連雀1丁目・2丁目と武蔵野市御殿山1丁目の境に架かっている橋で、吉祥寺通り(東京都道114号武蔵野狛江線)を通す。橋長は16.5m、幅員は16.8m。東京都が管理している。
橋名は、その創架した人物の名前に由来する。安政年間に下連雀村の地主であった渡邉萬助が、近くの大盛寺境内の杉の木をふたつに割って架けたものだったという。また明治時代に編纂された「下連雀村皇国地誌書上」には、当時の橋が長さ2間3尺、幅9尺の木橋であったとの記述がみられる。ちなみに「萬助」とは渡邉家の世襲名で、8代目の渡邉萬助は第2代三鷹市長を務めた。
現在の大きさの橋に改架されたのは1963年3月。その橋も老朽化のため、1994年8月に架け替えられている。 (wikipedia・萬助橋より)]
[万助橋は安政年間(1845年~60年)までさかのぼれる市内で最も古い橋の一つで、初代はマツの木を3本並べたものだという。現在のものは日本古来の「はね高欄」の橋に。橋名は橋を架けた下連雀村の渡邊家の世襲名・萬助さんから。玉川上水に沿って井の頭公園に入ったところにあるのが松本訓導碑。大正8(1919)年、遠足中に上水に落ちた児童を助けようとして殉職した麹町区(現・千代田区)永田町小学校の松本虎雄訓導(先生)を記念したもの。当時、美談として大変な評判となった。 (「三鷹市 |市内の各スポット解説(井の頭エリア・牟礼エリア)」より)]
御殿山
[御殿山のいわれは徳川家光にあります。徳川家光が鷹狩りをした時の仮宿舎が此の高台にあって、それで御殿山の地名になったようです。
現在の御殿山は樹木以外には何もありませんが、一つだけ立派な松本訓導殉難碑があります。この碑によると、大正8年遠足で来た小学校児童の一人が玉川上水の急流に落ちてしまい、その児童を救おうと松本教師が飛び込み、おぼれて殉職したという事故で、命を捧げて勇敢に救おうとした行為は当時の人々に感銘を与えたそうです。
御殿山を散策するといろいろな人に出会います。ベンチで楽器の練習をする人、黙々とジョギングをする人、楽しげに話をしながら井の頭池に下りていく人、他にも親子連れや若い男女もいて静かな森をひんぱんに人が往来しています。 (「御殿山(万助橋・松本訓導殉難碑)|観光スポット」より)]
「萬助橋 – Google Map 画像リンク」「松本訓導殉難の碑 – Google Map 画像リンク」「御殿山 – Google Map 画像リンク」
カメラ南南西方向が萬助橋です。
カメラ南西方向が松本訓導碑です。