玉川上水(見影橋と源右衛門分水)

マーカーは玉川上水(見影橋)です。

玉川上水(見影橋と源右衛門分水)
[見影橋は江戸時代から架かっていた古い橋です。その頃は村を流れる玉川上水の上流から四番目の橋だったので「四ノ橋」と呼ばれていました。また名主の屋敷に近いこともあって「旦那橋」とも呼ばれていました。大正時代に「御影橋」となり今では「見影橋」の字をあてています。
 橋が広げられるまではたもとに明治の初めの名主家当主の名前にちなんだ「源五右衛門分水」の取り入れ口がありました。今でも橋の南西下側にはその跡が残っており、見ることができます。  (「玉川上水巡り 見影橋~天王橋編 – 不動産のことならいずみホーム!立川 ..」画像より)]

[玉川上水は、天王橋(Google Maps)の下流400m程の所で残堀川と立体交差しています。残堀川は玉川上水と交差する唯一の川で、かつては、「狭山池助水」として上水に合流していました。しかし、明治時代になって川が汚れてきたため改修工事が行われ、現在は残堀川の下を上水が潜っています。当時、残堀川は「すなの川」とも呼ばれ、「砂川」の地名はここから付けられたとも言われています。
 そこからさらに約700m下流、見影橋手前右岸に源五右衛門分水口はあります。この分水は、当地の名主砂川源五右衛門の屋敷内(Google Mapshttps://goo.gl/maps/9DfrJ6PDFS22)にある水車を動かすために引かれました。砂川家は砂川新田(後の砂川村)の開発名主で、江戸時代後半から上水の見まわり役を続けていました。源五右衛門分水のように個人屋敷への引水が許された例は大変珍しく、他には田村家(福生市)の田村分水があるのみです。  (「第 9 話 玉川上水の分水(5)「源五右衛門分水」 – 武陽ガス」より)]

[見影橋から上流方面。左側に小さな分水の取水口が見える。(立川市砂川町3丁目) ・wikipedia-photo

  (wikipedia・玉川上水より)]

見影橋 – Google Map 画像リンク」「源五右衛門分水 – Google Map 画像リンク

カメラ位置は見影橋南詰めで、カメラ西北西方向に「見影橋と源右衛門分水」の案内板があります。

カメラ北西方向に源右衛門分水のスピンドルが見えます。