マーカーは神田上水助水堀跡です。
神田上水助水堀
[寛文7年(1667)神田上水に玉川上水の水を引き入れる助水堀が造られた。水口寸法一尺3寸四方(後3尺5寸×2尺5寸)。正春寺脇の地点から約1.3km北側、神田上水と青梅街道が交わる「淀橋」まで、ほぼ直線に水路があったとされる。また淀橋水車堀にも使われた。
この堀は明治30年(1897)淀橋浄水場への新水路の完成により役目を終えたが、引き続き水路は淀橋浄水場の余水吐として使われた。現在堀は埋められているが水路跡の一部が残る。 (「散歩ガイドマップ-代田橋駅から新宿御苑駅」より)]
玉川上水(神田上水助水堀)図(「千駄ヶ谷バシ」の右方向、「正春橋」右下に神田上水助水は描かれています。スクロールしてご覧ください。「東京都立中央図書館 – 玉川上水絵図 」より。)
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「東京府15区8郡時代の町村区分図」 – 「豊多摩郡大久保町・淀橋町」(地図左下・字新町左下の水路が神田上水助水堀と思われます、この地図では、中央左端・淀橋の南で神田川に合流していますが、江戸時代には淀橋の北で合流していました。)、「豊多摩郡中野町」
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [20]拾九貞」(コマ番号8・切絵図右中央上方向に淀橋が描かれ、淀橋の上方向に玉川上水からの神田上水への助水堀が描かれています。)
カメラ北西方向鉄柵の右側の敷地が神田上水助水堀跡と思われます。その敷地右が正春寺です。