一番町町名由来板ガイド板

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マーカーは一番町町名由来板ガイド板です。

番町
[番町(ばんちょう)は、東京都千代田区の地域内区分の一つで、主に一番町から六番町までの町を指す。江戸時代旗本のうち、将軍を直接警護するものを大番組と呼び、大番組の住所があったことから番町と呼ばれた。大番組は設立当初、一番組から六番組まであり、これが現在も一番町から六番町に引き継がれている。実際には、例えば、一番町がさらに堀端一番町、新道一番町というように細分化されており、江戸時代の大番組の組番号と、現在の町目の境は一致しない。怪談『番町皿屋敷』で有名。  (wikipdia-番町より)]

一番町
[江戸城に入った徳川家康は、城の西側の守りを固めるために、この一帯に大番組に属する旗本たちを住まわせました。ここから「番町」という地名が生まれ、この界隈には多くの武家屋敷がありました。明治になると、中央官庁や皇居に近接したこの地には、政府役人の官舎や華族の屋敷が並び、山県有朋の邸宅もありました。明治5年(1872)、英国大使館(当時は公使館)がこの地に移ってきます。明治維新の志士たちと深い交流をもち、のちに駐日英国公使として日英同盟に尽力したアーネスト・サトウも、ここで多くの年月を過ごしました。英国大使館の裏手には、明治33年(1900)、津田梅子が女性の自立をめざした英語学校・女子英学塾を創立しました。これが現在の津田塾大学の前身です。文化人たちにも一番町は愛されていました。小説家、劇作家として名高く、画家でもあった武者小路実篤はこの地に生まれ、結婚してからもしばらくその屋敷に住んでいました。「荒城の月」「」などの歌曲で知られる作曲家の滝廉太郎や、「からたちの花」「赤とんぼ」などを作曲し、西洋音楽の普及と発展に努めた山田耕筰もまた一番町の住人です。昭和32年(1957)に制定された「千代田区歌」は、佐藤春夫が作詞、山田耕筰が作曲したもので、英国大使館前に区歌の碑が残されています。昭和13年(1938)、かつての五番町と上二番町、元園町一丁目の一部が一緒になって、現在の一番町となりました。新たな文化を積極的に取り入れ、近代思想の礎を築いた町、それが一番町なのです。  (「千代田区 町名由来板ガイド:一番町(いちばんちょう)」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 御江戸番町絵図

一番町 説明版 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向に一番町町名由来板ガイド板があります。

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