古郡孫大夫屋敷跡

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マーカーは古郡孫大夫屋敷跡です。

雁堤
[雁堤(かりがねづつみ)は、静岡県富士市を流れる富士川左岸にある、江戸時代に建造された大規模な堤防。その姿が、群れをなして飛ぶ雁の姿に似ている事からこの名前が付いた。富士市指定史跡となっている。
一級水系富士川は、古くより日本三大急流の一つに数えられており、川沿いにあたる富士市は度重なる洪水による災害が多発していたが、1615年から古郡重高・重政・重年の父子3代が、1674年の完成まで50年以上の歳月を費やし、水田を富士川の洪水被害から守るため、「雁堤」と呼ばれる全長2.7kmに及ぶ堤防を完成させ、「加島五千石」と呼ばれる水田を加島平野(現在のJR富士駅周辺の一帯)に造成した。  (wikipedia・雁堤より)]

古郡孫大夫重政
[人物名称 – 古郡孫大夫重政(ふるごおりまごだゆうしげまさ)
活躍年代 – 江戸時代初期
地域 – 駿府藩 (静岡県)
駿河藩の代官として、加島平野(現:静岡県富士市)の開発を行った人物。
 古郡孫大夫重政は、加島平野を富士川の洪水から防ぐために、親の代(元和年間・1615~1623)から始まった雁堤(かりがねてい)の築造を受け継ぎ、「出し(水制)」と約1600mに及ぶ堤防を整備した。
 重政の死後、その築造は、子に引き継がれ延宝2(1674)年に長さ約2700mの堤防が完成した。親子三代におよぶ大事業であった。  (「日本の河川技術の基礎をつくった人々・略史 – 国土交通省」より)]

[没年:寛文4.閏5.22(1664.7.15)
生年:慶長4(1599)
江戸前期の幕府代官。駿河代官のひとりで加嶋代官と呼ばれた。幼名は大三郎,諱 は重政。孫大夫重高の子。駿河国富士郡中里村(富士市)に生まれ,はじめ徳川忠長に仕え100俵を給せられた。のち富士川下流域の治水,新田開発に取り組み,寛永17(1640)年より自力で加嶋新田の開発に着手,19年に検地をうけ1100石余の新田が成立,「物成十分一」(年貢米の10分の1)が与えられた。開発事業は養子文右衛門重年にも引き継がれて,延宝2(1674)年には富士川左岸の 雁堤 が完成,6500石余の新田が生まれた。  (「古郡孫大夫(ふるこおり・まごだゆう)とは – コトバンク」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 御江戸番町絵図」(絵図中央・表六番町通り下に古郡千之助と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 三」(129/186・表六番町通上に古郡孫大夫が描かれています。)

カメラ西北西方向付近が古郡孫大夫屋敷跡です。

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