名主 矢部家屋敷跡

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名主 矢部家
[矢部家は、麹町1~13丁目、平河町1~3丁目などを支配する、草創名主の家である。江戸時代初期から続き、明治維新後15代の矢部常行は、第三大区の区長をつとめている。名主としての矢部家は、役料高金194両あまりを有し、これは大伝馬町を支配する馬込勘解由に次ぐ高額であった。また、矢部家には、南伝馬町界隈を支配していた高野家などの有力名主から養子を迎えており、ここから、名主同士のつながりのあり方の一端をうかがうことができる。  (「2007-11-25 江戸町人研究会11月例会」より)]
[麹町区初代区長は、矢部常行(江戸時代初期以来の名主の矢部氏子孫で、前第3大区区長。)が就任した。  (wikipedia・麹町区より)]

草分名主
[近代以前においては草分けとされる家(史実か否かは別として)が、代々名主庄屋などの村役人の地位を占め、そうでない場合でも村内に複数の分家を有する宗家として発言力を有した。祭祀の場や土地・用水などの共有財産の利用権に関しても優先的な地位を占めた(そもそも、草分けが信仰していた宗教または草分け自身が人神としてそのまま地域の祭祀となった例が多い)。これは地方の村落に限らず、江戸時代においても徳川家康に従って町々の基礎を築いた草分名主・草分町人(主に北条氏以前からの町役人や徳川氏とともに三河国などの旧領国から移住してきた者)は、江戸幕府から町年寄に任じられ、江戸城での大きな祝い事の際には登城してその一端に参加することが許されていた。  (wikipedia・草分けより)]

名主の収入
[名主の収入は役料と言われ、支配下の町々の間口によって徴収された、町入用費の内から一定割合が支払われた。町々は、地域によって、上の場所、中の場所、下の場所の3種に定められ、高野新右衛門の支配する南伝馬町上の場所では、間口1間当たり、銀128匁6分余(約2.1両)であり、それから算出された役料は、83.5両であった。
江戸町名主の多額役料は 馬込勘解由の212両、2位は矢部與兵衛の194両であり、平均53.8両であった。名主役料が大きな格差を持つのも町行政の大きな課題の一つに挙げられていた。役量の少ないものは10両を切るものもあり、これでは町行政を行うことなどできなかったのである。この他、名主の収入として礼金があり、屋敷の売買、譲換、養子、元服、祝言などがあると祝儀金が贈られたり、また、公儀からの褒美として金子が贈られることもあった。  (「由緒ある草分名主 」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 御江戸番町絵図」[絵図右上・麹町二丁目左に「名主 矢ア与兵エ」と記述されている。]

カメラ北方向付近に名主 矢部家があったようです。

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