坪内伊豆守屋敷跡

マーカーは坪内伊豆守屋敷跡です。

駿府城代
[1633年(寛永10年) 、江戸幕府徳川忠長が改易されて直轄領となった駿府に駿府城代を置き、東海道の要衝である当地の押えとした。駿府城代は老中支配で、駿府に駐在して当城警護の総監・大手門の守衛・久能山代拝などを管掌した。譜代大名の職である大坂城代とは異なり大身旗本の職であるが、老中支配の中では最高位の格式を持ち、御役知2000石、伺候席は雁間詰めであった。
坪内定保 1852年(嘉永5年)7月8日 – 1857年(安政4年)2月9日  (wikipedia・駿府城より)]

[旗本寄合席
坪内家
5,500余石
美濃国各務郡羽栗郡上野国新田郡邑楽郡安房国平郡内
織田氏旧臣。坪内利定が関ヶ原の戦い後、本領安堵される。鉄砲頭の家系。  (wikipedia・旗本寄合席より)]

BlOkU2: 18531002 – blogger」に『駿府城代坪内定保[伊豆守]』の記述があります。

資料リンク
国際日本文化研究センター – 東都番町大繪圖 : 安政再版(安政5・1860年)」(絵図下中央付近、市谷御門左上に坪内伊豆守と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 三」[コマ番号89/186・安政六(1859)年之形の市谷御門左上に坪内伊豆守と描かれています。]

カメラ北東方向に坪内伊豆守屋敷があったようです。