牛込見附

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牛込見附
[JR飯田橋駅西口近傍に2基の石組みが保存されており、江戸36見附の中でも最もよく往時の形を遺しているもののひとつ。また、人目につきにくい場所ではあるが、牛込橋のたもとにあたる部分にも石組みが遺されている。牛込門は上州道へ通じる北の関門であった。市ヶ谷門の桜に対し、こちらは「楓の御門」と呼ばれ、紅葉が美しかったという。  (wikipedia・外濠_(東京都)より)]

[牛込見附跡の説明
史跡 江戸城外堀跡  牛込見附(牛込御門)跡
正面とうしろの石垣は、江戸城外郭門のひとつである牛込見附の一部です。 江戸城の外郭門は、敵の進入を発見し、防ぐために「見附」と呼ばれ、足元の図のように二つの門を直角に配置した「枡形門」という形式をとっています。この牛込見附は外堀が完成した寛永16年(1636年)に阿波国徳島藩蜂須賀忠英(松平阿波守)によって石垣が建設されました。 これを示すように石垣の一部に「松平阿波守」と刻まれた石が発見され、向い側の石垣の脇に保存されています。江戸時代の牛込見附は田安門を起点とする「上州街道」の出口といった交通の拠点であり、 また周辺には楓が植えられ秋の紅葉時にはとても見事であったといわれています。その後、明治35年に石垣の大部分が撤去されましたが、下図のように現在でも道路を挟んだ両側の石垣や橋台の石垣が残されています。この見附は、江戸城外堀跡の見附の中でも、最も良く当時の面影を残しています。足元には、かっての牛込見附の跡をイメージし、舗装の一部に取り入れています。  (「東京 神楽坂 ガイド-牛込見附跡と牛込橋」より)]

牛込橋
[この橋は、「牛込橋」といいます。
御府内備考」によれば、江戸城から牛込への出口にあたる牛込見附(牛込御門)の一部をなす橋で、「牛込口」とも呼ばれた重要な交通路でした。また、現在の外堀になっている一帯は堀が開かれる前は広大な草原で、その両側は「番町方」(千代田区側)と「牛込方」(新宿区側)と呼ばれてたくさんの武家屋敷が建ち並んでいたと伝えられています。
 最初の橋は、寛永十三(一六三六)年に外堀が開かれた時に阿波徳島藩主の蜂須賀忠英によって造られましたが、その後の災害や老朽化によって何度も架け替えられています。
 現在の橋は、平成八年三月に完成したものです、長さ四六メートル、幅一五メートルの鋼橋です。
 平成八年三月    千代田区教育委員会  (「牛込見附跡と牛込橋|東京 神楽坂 ガイド」 – 「画像リンク」より)]

外濠の桜」、「晴れたらいいね 外濠公園の桜 – URL – FC2

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 江戸城見附図 2巻. [2]」(コマ番号51-54/68・牛込御門)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 駿河台小川町絵図(嘉永三年・1850年)」(絵図右下に「牛込御門」が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 御江戸番町絵図(嘉永新刻)」(絵図四つ切左下に「牛込御門」が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 小日向絵図(嘉永五年・1852年)」(絵図四つ切右上に「牛込御門」が描かれています。)

国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国麹町区飯田町及小石川区小石川町(五千分一東京図測量原図のうち)(明治16・1883年)」(地図左端中央下に牛込門が描かれています。)

(幕末の牛込門・wikipedia-photo)

江戸城 牛込見附跡 – Google Map 画像リンク

カメラ位置は牛込橋東詰めで、カメラ南南西方向石垣前に、牛込見附の案内プレートが設置されています。

カメラ位置は牛込橋東詰めで、カメラ北北東方向石垣前に牛込橋の案内板と「松平阿波守」と刻まれた石が保存されています。

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