麹町大通り案内図(麹町の赤穂浪士)

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マーカーは「麹町大通り 案内図」です。

麹町大通り案内図
[新麹町の人々
 元禄15年(1702)12月14日、赤穂の浪士たちが吉良邸に討ち入りました。この事件は、多くの人に深い感銘を与え、今なお歌舞伎浄瑠璃の脚本に「忠臣蔵」の題名で登場しています。
 浪士たちの一部は、討ち入り数か月前から身分を隠して、当時の新麹町(現在の平河町)に住み始めました。新麹町四丁目(平河町1-8と9)には小野寺幸右衛門ら7人、新麹町四丁目裏町には千馬三郎兵衛ら5人、新麹町五丁目(平河町1-1と2)には富森助右衛門、新麹町六丁目(平河町1-3と6)には吉田忠衛門ら5人が住んでいました。「忠臣蔵と麹町」、案外知られていない歴史の1こまです。  (「麹町四丁目交差点~麹町六丁目交差点~四谷見附 … – 万歩計」より)]

[赤穂浪士たちは、数人ずつ変名で町家の裏店を借りて、その時期をうかがっていた。討入りの前には、47士のうち、なんと約1/3の17名もの浪士たちが麹町に4軒の裏店(うらだな。店は、店鋪ではなく貸家のこと)に分散して潜居していた。当時の地図には町人地での店名はほとんど明示されていないので場所を特定することはできないが、麹町での潜伏先は次の4カ所であった。とくに新麹町(当時町名を変更したことから、新が冠されていた)六丁目の「大屋喜左衛門店」は、参謀格の吉田忠左衛門以下5人が住んでおり、浪士たちの実質的な作戦本部であった。大石内蔵助もたびたびこの家を訪れ、同志の会合を持ったという。討入り前、三々五々麹町から出発し本所松坂町の吉良邸近くの隠れ家に集合したのであろう。
新麹町四丁目「大屋七郎右衛門店」
千馬三郎兵衛間喜兵衛間十次郎、中田利兵次(中田理平次・脱落者)、間十次郎弟(間 新六)の5人が住んでいた。
旧麹町四丁目「和泉屋五郎兵衛店」
中村勘助間瀬久太夫岡島八十右衛門岡野金右衛門小野寺幸左衛門間瀬孫九郎、間瀬小市郎の7人が住んでいた。
新麹町五丁目「秋田屋権左衛門店」
富森助右衛門と妻子、弟が住んでいた。
新麹町六丁目「大屋喜左衛門店」
吉田忠左衛門吉田澤右衛門原惣右衛門不破数右衛門寺坂吉右衛門ら5人が住んでいた。  (「江戸の残照 – 麹町界隈わがまち人物館」より)]

カメラ南東方向・消火栓標柱の左に「麹町大通り 案内図」が設置されています。

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