大円寺

マーカーは大円寺です。

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図中央右方向・目黒川右、「松平薩摩守」左上に大円寺が描かれています。]

東京府15区8郡時代の町村区分図」 – 「最新交通指導地図荏原郡碑衾町」[地図右上目黒町エリアに大圓寺が描かれています。]

大円寺
[この寺は、寛永年間(1624年 – 1644年)湯殿山修験道の行者大海が創建したのに始まると伝えられる。1772年(明和9年)2月に発生した大火(明和の大火・行人坂火事)の火元となった寺であることから、江戸幕府から再建の許可が得られなかった。江戸時代後期の1848年(嘉永元年)になって薩摩藩島津斉興帰依を得て、その菩提寺としてようやく再建された。明治に入り隣接した明王院がこの寺に統合されている。  (wikipedia・大円寺_(目黒区)より)]

[山門を入るとまず目につくのが、境内左手のがけに沿い幾段にも並ぶ石仏群である。初めてここを訪れる人はその数の多さに目を見張ることだろう。釈迦三尊像、五百羅漢像などから成る520体ほどの石仏像は、昭和45年、都有形文化財に指定されている。
石仏群は明和の大火の犠牲者供養のために、石工が50年という歳月をかけて完成したといわれている。一体一体をよく見ると穏やかにほほ笑むもの、ほおづえをついて考え込んでいるもの、泣き出しそうなものと、その表情は実にさまざまで、個性あふれる石仏群を見ていると親しみがわいてくる。
この石仏群の手前、本堂横に顔や手が溶けたような、一体の異様な地蔵が立っている。この地蔵は「とろけ地蔵」と呼ばれ、江戸時代に漁師が海から引き上げたもので、昔から悩み事をとろけさせてくれる、ありがたいお地蔵様として信仰されてきたとか。  (「歴史を訪ねて 大円寺 目黒区」より)]

大円寺資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 目黒白金辺図」(絵図中央左上・細川越中守下屋敷の上方に行人サカ・明王院・大圓寺が描かれています)

国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号6/7・絵図中央上方向「目黒川」上に「大圓寺」が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [4]拾六中」(コマ番号4・地図中心より右上方向に太鼓橋、行人坂、行人坂右に明王院・大圓寺が描かれています。)

カメラ南南東方向が大円寺本堂です。

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