マーカーは目黒大鳥神社です。
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図右方向・「下目黒」右上に大鳥社が描かれています。]
目黒大鳥神社
[大鳥神社(おおとりじんしゃ)は、東京都目黒区下目黒にある神社。かつての目黒村(それ以前は下目黒村)の鎮守。11月に行われる酉の市でも知られる。
言い伝えによると景行天皇の時代に当地に国常立尊を祀った社があり、日本武尊が東夷平定の折に、当社に立ち寄って祈願したと言われている。その後日本武尊の霊が白鳥として当地に舞い降り鳥明神として祀られ、大同元年(806年)に社殿が完成したという。この年を大鳥神社では創建の年としており、これは目黒区最古である。
江戸図における最古のものとされている室町時代の長禄の江戸図には「鳥明神」として当神社が描かれており、当時の江戸図には9つの神社しか描かれておらず、大鳥神社は江戸九社のひとつとして知られている。また江戸名所図会では「大鳥大明神社」として描かれている。
当神社の酉の市は江戸時代の天保6年(1835年)に当地の農家が浅草から取り寄せて売ったことから始まったといわれている。現在でも11月の酉の日には境内には熊手を扱う店が軒を連ね大きな賑わいを見せている。
現在の社殿は昭和37年(1962年)にできたもの。また平成18年(2006年)には鎮座1200年祭が行われた。また当神社は目黒通りと山手通りの交差点は大鳥神社の名前が冠せられており、交通の要所となっている。
大鳥神社鳥居と拝殿・wikipedia-photo、例大祭当日の境内・wikipedia-photo (wikipedia・大鳥神社_(目黒区)より)]
[旧暦では60日に1度、庚申(かのえさる)の日が巡ってきますが、この夜眠ってしまうと人の体内にすんでいる三尸(さんし)という虫が天に昇り、天帝にその人の日ごろの行いを報告するという道教の教えがあり、罪状によっては寿命が縮まると言われていました。寿命が縮まっては大変。この日は身を慎み、虫が抜け出せないようにと徹夜して過ごしました。日本では既に10世紀ごろには盛んだったようで、「枕草子」、「大鏡」などに記述があります。この教えが広まっていく中で仏教や庶民の信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大流行しました。身を慎むことから始まりましたが、徐々に米や野菜、お金を持ち寄り、皆で飲食・歓談して過ごす楽しい集まりになっていきました。また、さまざまな情報を交換し、農作業の知識や技術を研究する場でもありました。この集会を3年18回続けた記念に建立したのが庚申塔です。長寿や健康のみならず、家内安全や五穀豊じょう、現世や来世のことなどを祈り、それを碑面に刻みました。 (「目黒区ホームページ – 東急東横線中目黒駅近辺の庚申塔」より)]
[大鳥神社境内の庚申塔(下目黒三丁目1番)
社殿に向かって左側の奥に4基あります。 (目黒区ホームページ – 大鳥神社境内の庚申塔(下目黒三丁目1番)」より)]
「目黒大鳥神社ホームページ」、「歴史を訪ねて 大鳥神社:目黒区公式ホームページ」
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 目黒白金辺図」(絵図左上・目黒不動の右方向に大鳥大明神が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号6/7・絵図中央付近に「大鳥明神」が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [4]拾六中」(コマ番号4・地図中央に大鳥社が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「大鳥明神社」(7-59)、「大鳥明神社解説・右ページ中」(7-58)
大鳥明神社(拡大図)
狂歌江都名所図会 – 祐天寺 千代の池 大鳥明神(拡大図)
カメラ西南西方向が目黒大鳥神社です。
カメラ西南西方向が目黒大鳥神社拝殿です。
目黒大鳥神社・酉の市のカメラです。