安養院

マーカーは安養院です。

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図右方向・「下目黒」右下、御膳所龍泉寺右下に安養院が描かれています。]

安養院木喰
[安養院の創建年代は不詳ですが、唱嶽長音木食上人(1678寂)が目黒不動龍泉寺の子院として開山、寝釈迦寺と呼ばれていました。
●「品川区の文化財」による安養院の縁起
当初は目黒不動龍泉寺の子院四カ寺の一つとして開かれた寺であるが、開創の時期、開基開山等は不明である。
一時荒廃していたが、これを承応元年(1654)木食唱岳長音が再興した。木食唱岳長音は養玉院如来寺五智如来等の造像を行った木食但唱の弟子で五智如来の造像にも唱岳長音が協力しているといわれる。唱岳長音は師但唱の死後、天海僧正のすすめで当寺を再興し、当寺で阿弥陀如来坐像や丈六の釈迦涅槃像を彫刻した。釈迦涅槃像の造像を待たずに唱岳長音は、当寺を弟子空誉に譲って羽後の秋田に去っており、ここで秋田藩主佐竹義隆の庇護を得て、ここで一寺を草創している。そして延宝6年(1678)8月16日秋田で示寂している。その生涯に数多くの仏像を彫刻している異色のある僧侶である。
当寺はその後唱岳長音等の刻んだ釈迦涅槃像を本尊としたため、俗に寝釈迦寺と呼ばれて世人の信仰を得て近代に至った。この像は戦災で首のみを残して焼失したが近年再造され本堂に安置されている。(「品川区の文化財」より)
新編武蔵風土記稿による安養院の縁起
(桐ヶ谷村)安養院
年貢地。村の西北の方隣村目黒不動の並びにあり。天台宗下目黒村瀧泉寺末、臥龍山能仁寺と号す。延宝の頃時の住僧長音中興す。本堂7間に7間半、本尊釈迦を安ず。昔は涅槃の像を本尊とせしが、近き頃回録に罹りて烏有す。されど其名残により土俗には寝釈迦寺と呼ぶ。門は両柱の間9尺安養院の扁額は支那獨湛の落款あり。門内に石階三級ありここを限として内は当村の地にて、外は目黒村の内字入家と云ところなり。
鐘楼享保4年鋳造の鐘をかく。
稲荷秋葉山王合社。客殿に向て左の方にあり、1間四方。
不動堂。同く右にあり。2間に3間不動の像は慈覚大師13歳の時の作と云傳ふ。坐像にて長2尺。
閻魔堂。境内にあり。2間四方。(新編武蔵風土記稿より)  (「安養院|品川区西五反田にある天台宗寺院、寝釈迦寺 – 猫の足あと」より)]

安養院 – Google Map 画像リンク

カメラ南東方向が安養院参道です。