寿福寺

マーカーは寿福寺です。

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図四つ切右上・「上目黒」下方向に壽福寺と描かれています。]

寿福寺
[「新清山観明院壽福寺」といい、天台宗でご本尊阿弥陀如来です。元和元年(1615)鳳算大阿闍梨が創建されたと伝えられていますが、当境内にある鎌倉時代板碑から、草創はさらにさかのぼるものと推定されます。この寺は、享保の頃(1716-1735)中興の英主といわれる孝順大和尚のとき、上野護国院の末寺として大いに栄えました。現在の本堂は、昭和50年に、建替えられましたが、それまでの本堂は明治13年に行人坂の明王院念仏堂を移建したもので、その「念仏堂」の由緒ある扁額は今も掲げられています。また、本堂には木彫彩色の青面金剛立像が安置されています。門前には、相生地蔵とよばれ信仰されている2體の延命地蔵尊庚申塔などが立っています。また、宿山の烏森稲荷は元禄の頃(1688-1703)に当寺境内の稲荷社を移したものです。(目黒区教育委員会掲示より)  (「猫のあしあと – 寿福寺|目黒区上目黒にある天台宗の寺院」より)]

寿福寺庚申塔
[旧暦では60日に1度、庚申(かのえさる)の日が巡ってきますが、この夜眠ってしまうと人の体内にすんでいる三尸(さんし)という虫が天に昇り、天帝にその人の日ごろの行いを報告するという道教の教えがあり、罪状によっては寿命が縮まると言われていました。寿命が縮まっては大変。この日は身を慎み、虫が抜け出せないようにと徹夜して過ごしました。日本では既に10世紀ごろには盛んだったようで、「枕草子」、「大鏡」などに記述があります。この教えが広まっていく中で仏教や庶民の信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大流行しました。身を慎むことから始まりましたが、徐々に米や野菜、お金を持ち寄り、皆で飲食・歓談して過ごす楽しい集まりになっていきました。また、さまざまな情報を交換し、農作業の知識や技術を研究する場でもありました。この集会を3年18回続けた記念に建立したのが庚申塔です。長寿や健康のみならず、家内安全や五穀豊じょう、現世や来世のことなどを祈り、それを碑面に刻みました。  (「目黒区ホームページ – 東急東横線中目黒駅近辺の庚申塔」より)]

[寿福寺の門前にあるこの庚申塔(1基)には、青面金剛が刻まれています。保存状態も良く区内初期の代表的な作品と言われています。  (「目黒区ホームページ – 寿福の庚申塔」より)]

寿福寺 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が寿福寺参道です。

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