マーカーは小野藩一柳家下屋敷跡です。
関連リンク – 小野藩一柳家上屋敷跡
「国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP474・コマ番号281/553から小野藩屋敷の変遷について記載されています。「下屋敷 白金」がこの地になります。
一柳末徳
[一柳 末徳(ひとつやなぎ すえのり)は、丹波国綾部藩主・九鬼隆都の五男として誕生。
播磨国小野藩10代藩主・一柳末彦の養嗣子となり、文久3年(1863年)6月9日の末彦の隠居により家督を継いだ。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では早くに新政府に帰順して北越戦争に出兵する。明治2年(1869年)の版籍奉還で知藩事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で上京する。その後は慶應義塾に入って英学を学んだ。
明治12年(1879年)には東京芝区会議長となる。 (wikipedia・一柳末徳より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [6]拾六下(弘化三年・1846年)」(コマ番号4/5・絵図四つ切右上、瑞聖寺左に一柳土佐守(一柳末延)下屋敷が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図(嘉永三年・1850年)」(絵図下別枠・中央右、瑞聖寺下に一柳土佐守(一柳末延)下屋敷が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 目黒白金辺図(嘉永七年・1854年)」(絵図中央下方向・瑞聖寺左に一柳土佐守(一柳末延)下屋敷が描かれています。)
カメラ位置は港区白金台3丁目4-12地先交差点で、カメラ北西方向白金台3丁目6までの一画が小野藩一柳家下屋敷跡になると思います。