マーカーは松秀寺です。
「国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示で絵図四つ切右上方向・「白金」と「高輪」の間、細川越中守左に松秀寺が描かれています。)
松秀寺(しょうしゅうじ)
[時宗の松秀寺は、冬嶺山本寿院と号します。遊行第二世他阿真教上人が嘉元年中(1303-1305)下高井戸に創建、佛頂山常光寺と称したといいます。紀州菩提心院殿宗将卿の帰依を受けて宝暦2年(1752)当地へ移転、明和年中(1764-1771)現寺号に改称しました。 (「猫のあしあと」より)]
[日限地蔵 (ひぎりじぞう)は日本各地に存在する、「日を限って祈願すると願いが叶えられる」といわれる地蔵菩薩。
天正時代、蘆名盛氏へのある夜の夢のお告げで黒川城の堀から見つかったとされる3体の地蔵菩薩像を日限地蔵として祀った西光寺(会津若松市)をきっかけとし松秀寺(東京都港区)から全国へひろがった。 (wikipedia・日限地蔵より)]
松秀寺資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 目黒白金辺図」(絵図右下方向・織田安芸守(芝村藩)上屋敷の下に日限地蔵尊松秀寺植行寺ト云と描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号3/7・絵図中央左方向「松平山城守」下に「松秀寺」が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「松秀寺」(7-37)、「冬嶺山松秀寺解説・右ページ中」(7-33)
松秀寺(拡大図)
カメラ西方向が松秀寺山門です。