椎谷藩堀家下屋敷跡

スポンサーリンク

マーカーは椎谷藩堀家下屋敷跡案内板です。

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示で中央右方向・「白金」左下、松平讃岐守左に堀近江守が描かれています。)

椎谷藩堀家下屋敷跡
[越後国新潟県椎谷藩の堀家下屋敷は、現在の国立自然教育園の西側の位置にあり、JR目黒駅に近い上大崎二丁目10番付近で、5500坪を有する下屋敷でした。この地は、元禄2年(1689)から宝永5年(1708)にかけて武家地を幕府が召し上げたのち、村役人に預けられ、さらに年貢のかかる百姓地、そして再び武家地へと短期間に移り変わり、宝永5年(1708)12月に堀出雲守の下屋敷になったものです。弘化3年(1846)6月には、このうち3000坪を御留守居役の土岐丹波守頼旨に貸したので、実質2500坪が椎谷藩下屋敷でした。この時の屋敷地はL字形であったと推定されます。椎谷藩の始祖、堀直之は少年時代、2代将軍徳川秀忠近習として仕え、大坂夏の陣の功績によって元和2年(1616)、椎谷(現在の新潟県柏崎市)周辺に5500石を賜りました。直之は寛永10年(1633)に上総国の4000石を加増されて、9500石となり、1万石以上が大名ですので、直之の代は大名ではなかったのですが、直之は江戸町奉行寺社奉行という要職を歴任した名臣として名が残っています。直之の跡を継いだ堀直景の時代に、徳川秀忠から下総国相模国甲斐国の2000石が与えられ1万1500石の大名となったのです。このとき1500石は弟の直治に分けたので、椎谷藩は幕末まで1万石の小大名でした。元禄11年(1698)第4代当主の堀直宥のとき、関東の藩領が越後国に移され、全所領が越後一国となりました。このときが椎谷藩の立藩(藩が成立)とされています。もともと堀家は外様大名の家筋だったのですが、将軍の近習で大名に取り立てられた場合、譜代として扱われるので、椎谷藩堀家は譜代大名として扱われました。また、2代藩主の堀直央の代までは参勤交代をする大名でしたが、3代堀直恒以降は参勤交代を行わないで、江戸に定住して幕府に仕える定府大名となりました。  (「品川の大名屋敷 第16回|品川区 – 品川区 Shinagawa City」より)]

[この付近は、越後国(現・新潟県)椎谷藩(1万石)堀出雲守之敏の下屋敷で、西側に(筆者注※東側の間違い) 讃岐国(現・香川県、うどん県)高松藩松平家下屋敷に接していた。元来5千5百坪を有する下屋敷だったが、安政3年(1856)時には、この内3千坪を御留守居土岐丹波守頼旨(3千5百石)に貸し、椎谷藩下屋敷は、実質2千5百坪であった。
 藩主堀氏は、家筋から外様大名であるが、初代直之が町奉行・寺社奉行などを歴任していたことなどから例外的に譜代扱いとなっており、歴代諸職に就いている。3代以降、参覲交代をしない定府となっていた。
 安政2年(1855)頃の椎谷藩堀出雲守之敏は、1万石の家禄があり、上屋敷は、浜町(現・中央区日本橋蛎殻町)にあった。
※上記大名屋敷の所有関係は安政3年頃のもの   (「旧・越後椎谷藩 の 江戸下屋敷跡があった! : 三道楽ノート – livedoor Blog」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 目黒白金辺図」(絵図中央に松平讃岐守(高松藩)下屋敷が描かれて、その左上に堀出雲守(椎谷藩)下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [4]拾六中」(コマ番号2・地図中央下方向・松平主殿頭抱屋敷の上に堀出雲守下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [3]拾六中」[コマ番号56-63・寛永5(1628)年から文化3(1846)年までの椎谷藩堀家下屋敷の敷地図が描かれています。]

カメラ西北西方向に椎谷藩堀家下屋敷跡の案内板があります。

椎谷藩
[椎谷藩(しいやはん)は、越後国刈羽郡椎谷(現在の新潟県柏崎市椎谷)に陣屋を構え、周辺を領有した藩。藩庁は椎谷陣屋に置かれた。藩祖は名臣として名高い堀直政の四男・堀直之である。元和2年(1616年)7月、直之は大坂の陣による軍功が認められて、越後国沼垂郡に5,500石を与えられ、椎谷に陣屋を置いた。直之の後を継いだ堀直景の時代、関東の地に1万石を与えられ、大名となった。元禄11年(1698年)、第4代当主・堀直宥が越後の沼垂郡・三島郡蒲原郡三郡内において1万石を領し、椎谷に居住したのが正式な椎谷藩の始まりである。歴代藩主は江戸定府が常であった。
江戸時代初期、江戸幕府は現在の刈羽郡(旧三島郡)を沼垂郡と呼んでいたことがあり、ここでいう「沼垂郡」とは刈羽郡のことである。  (wikipedia・椎谷藩より)]

スポンサーリンク