マーカーは油面子育地蔵尊(高地蔵)です。
油面子育地蔵尊(高地蔵)
[「油面子育地蔵尊(高地蔵)」について
商店街の中央に、区の文化財、「油面子育て地蔵尊(高地蔵)」があります。この地蔵尊は「高地蔵」と呼ばれ、油面の皆さんに親しまれています。もともとは、目黒通り油面交番近くの小高い角地に立っていましたが、昭和9年に、目黒通りの道路拡張のため現在地に移転されました。「高地蔵」と呼ばれるのは、このお地蔵様は高い台上にまつられていたため、という説と、地勢上、小高い位置に立っていたという説があります。江戸時代の享保の頃、このあたりは飢饉や大火で多くの人が苦しい思いをしていました。このとき亡くなった方たちの冥福を祈り、貧困者の救済を願って、享保18(1733)年7月に祐天寺において供養が営まれ、六十六部供養碑とともにまつられました。さらに、こんな伝説もあります。目の病気で失明したおばあさんの夢枕に、ある日旅の僧が現れ、「この地に埋もれているお地蔵様をまつりなさい」と伝えたそうです。これが2晩、3晩と続き、神のお告げであろうと信じたこのおばあさんは、坂の頂上にお地蔵様を発見、信仰を続けたところ、再び目が見えるようになったということです。「高地蔵」は、今も育児の厄除けに霊験あらたかな子育て地蔵尊として信仰されています。毎年7月3日には、「夏の高地蔵まつり」が、商店街と地蔵講の共催で実施され、多くの参拝者でにぎわいます。
油面という地名の由来
江戸時代、この辺りでは菜種の栽培が盛んで、採れた菜種油を寺院に献納しており、その代わりに租税が免除されていたそうです。そこから“油免”、転じて“油面”となったというのが有力な説です。 (「油面地蔵通り商店街概要」より)]
カメラ東南東方向・二股角が油面子育地蔵尊(高地蔵)です。