龍泉寺(目黒不動尊)

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    国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図右方向・「下目黒」右下に御膳所龍泉寺が描かれています。]

    龍泉寺(目黒不動尊)
    [瀧泉寺(りゅうせんじ)は、東京都目黒区下目黒三丁目にある天台宗の寺院。山号は泰叡山(たいえいざん)。不動明王を本尊とし、一般には目黒不動(目黒不動尊)の通称で呼ばれる。江戸五色不動の一つ。江戸三十三箇所第33番札所。関東三十六不動第18番。「目黒」の地名はこの目黒不動に由来する、とする説もある。青木昆陽の墓があることでも知られる。
    寺伝では大同3年(808年)に慈覚大師円仁下野国から比叡山に赴く途中に不動明王を安置して開創したという。東国には円仁開基の伝承をもつ寺院が多く、本寺の草創縁起もどこまで史実を伝えるものか不明である。1615年に本堂が火災で焼失したが、1624年徳川家光によって再建され、以後徳川幕府の庇護を受け繁栄するようになった。文化文政の時代に「江戸の三富」と呼ばれた富籤(とみくじ)が行われていた(他は湯島天満宮谷中感応寺)。寺名の由来となった、境内の独鈷の滝(とっこのたき)を浴びると病気が治癒するとの信仰があった。江戸時代には一般庶民の行楽地として親しまれ、江戸名所図会にも描かれている。また、落語の目黒のさんまは、この近辺にあった参詣者の休息のための茶屋(爺が茶屋)が舞台だとされる。
    江戸時代には大いに栄え、門前町が発達したが門前町の名物として当時目黒の名産品であった竹の子を使った竹の子飯と棒状に伸ばした練飴(白玉飴)を包丁でトントン切っていく目黒飴が人気であった。また、餅花という細い竹にしんこ餅を付けた物や粟餅などもあったという。江戸名所図会にはこの目黒飴屋の風景が載っていて、図会に載っている絵では従業員が10人近くみられる大店であったことがうかがえる。
    境内
    境内は台地と平地の境目に位置し、仁王門などの建つ平地と、大本堂の建つ高台の2段に造成されている。仁王門をくぐると正面に大本堂へ至る急な石段がある。石段下の左方には独鈷の滝(とっこのたき)、前不動堂、勢至堂などがあり、右方には書院、地蔵堂、観音堂、阿弥陀堂などがある。
    ●仁王門 – 三間一戸の朱塗りの楼門で、昭和37年(1962年)再建の鉄筋コンクリート造である。
    ●野村宗十郎銅像 – 仁王門を入って左手にある。野村宗十郎(1857 – 1925)は、築地活版製造所の社長で、日本に明朝体活字を普及させた人物である。
    ●独鈷の滝 – 本堂へと登る石段下の左手に池があり、2体の龍の口から水が吐き出されている。伝承では、円仁が寺地を定めようとして独鈷(とっこ、古代インドの武器に由来する仏具の一種)を投げたところ、その落下した地から霊泉が涌き出し、今日まで枯れることはないという。
    ●前不動堂- 独鈷の滝の左方にある宝形造朱塗りの小堂。江戸時代中期の建築で、東京都の有形文化財に指定されている。
    ●勢至堂 – 前不動堂のさらに左方にある宝形造の小堂。江戸時代中期の建築で、目黒区の有形文化財に指定されている。付近には甘藷先生(青木昆陽)碑、北一輝碑、本居長世碑などがある。
    ●大本堂 – 急な石段を登った先の一段高い土地に建つ。入母屋造に千鳥破風をもつ大規模な仏堂で、昭和56年(1981年)再建の鉄筋コンクリート造建築。傾斜地に建っており、室生寺金堂や石山寺本堂のような懸造(かけづくり)風のつくりになっている。天井には日本画家、川端龍子の「波涛龍図」が描かれている。
    ●大日如来像 – 大本堂の背後にある露座の銅製仏像。膝前で印を結ぶ胎蔵界大日如来像で、天和3年(1683年)の作。
    ●青木昆陽墓 – 本堂裏手の道を右方へ進んだ先の飛地境内の墓地内に立つ。青木昆陽(1698 – 1769)は江戸時代中期の儒者で、サツマイモ(甘藷)の栽培を普及させた人物として知られる。墓は簡素な墓石に「甘藷先生墓」と刻まれたもので、昆陽が生前に立てさせたものという。国の史跡に指定されている。
    仁王門・wikipedia-pkoto

    水掛不動・ wikipedia-photo

    神変大菩薩 銅造役の行者倚像参道と女坂・wikipedia-photo

    神変大菩薩 銅造役の行者倚像・wikipedia-photo

    目黒不動尊大本堂・wikipedia-photo

    目黒不動尊大本堂前境内・wikipedia-photo

    ウィキメディアコモンズには、瀧泉寺の画像またはその他のファイルが含まれています。  (wikipdia・瀧泉寺より)]

    [「目黒に名所が三つござる。一に大鳥、二に不動、三に金毘羅」
    と麦打歌に歌われた目黒三社の、大鳥は大鳥神社、不動は目黒不動、金毘羅は高幢寺(こうとうじ)金毘羅権現社のこと。もっとも高幢寺は今では廃寺となっている。目黒三社の中でも、目黒不動は目黒詣での人びとで大いににぎわった。近くには、行人坂上の夕日が岡などの景観地もあったし、俗に蛸薬師と呼ばれる成就院や、蟠竜寺もある。少し足を延ばせば、名刹祐天寺もある。娯楽の少ない昔のこと、寺社詣でといっても信心と娯楽の両方を兼ねていた。行人坂から目黒不動尊門前までの道筋には、料理屋や土産物屋がぎっしりと立ち並んでいた。人気のあった土産物は、名物餅花、目黒飴。餅花は木の枝に小さくまるめた五色の餅をつけたもの。飴は桐屋が有名で「江戸名所図会」にその繁盛ぶりがうかがえる。目黒には遊郭はなかったので、目黒詣でを終えた江戸っ子の足は、品川宿へ向くことになる。品川宿はするりとは通り抜けられない「難所」だったらしい。当時の川柳には、目黒詣で帰りを詠んだものが何首かある。
    「餅花を提げて難所へさしかかり」
    「言訳けのおみやを召せと桐屋言い」
    にぎやかな目黒不動が、いっそうにぎわったのは、官許の富くじ興行の日であった。 (「歴史を訪ねて 富くじ 目黒区」より)]

    龍泉寺(目黒不動尊)ホームページ

    龍泉寺(目黒不動尊)境内案内図(拡大図)

    歴史を訪ねて 目黒不動(瀧泉寺) 目黒区」、「歴史を訪ねて 甘藷先生(かんしょせんせい) 目黒区

    国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 目黒白金辺図」(絵図左上方向に目黒不動龍泉寺が描かれています。また、山門左下に「ヒヨクツカ」が描かれています。)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号6/7・絵図中央右方向「目黒不動 龍泉寺」が描かれています。)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [4]拾六中」(コマ番号4・地図中心より右下方向に龍泉寺が描かれています。)

    江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「目黒飴」(7-55)、「目黒不動堂」(7-57)、「目黒不動堂解説-1・左ページ左」(7-52)、「目黒不動堂解説-2」(7-53)、「目黒不動堂解説-3・左ページ中程まで」(7-56)
    目黒不動堂(拡大図)

    拡大図

    狂歌江都名所図会 – 目黒不動尊(拡大図)

    絵本江戸土産 – 目黒不動尊(拡大図)

    江戸名所 目黒不動尊

    仁王門 – Google Map 画像リンク」、「青木昆陽先生碑銘 – Google Map 画像リンク」、「目黒不動女坂 – Google Map 画像リンク」、「瀧泉寺(目黒不動尊) – Google Map 画像リンク」、「地蔵堂 – Google Map 画像リンク」、「阿弥陀堂 – Google Map 画像リンク」、「瀧泉寺本坊阿弥陀堂 – Google Map 画像リンク

    カメラ北北西方向が龍泉寺(目黒不動尊)山門です。また、カメラ南西方向に平井権八と小紫の「比翼塚」があります。

    男坂下のストリートビューで、カメラ西南西方向に水掛不動・垢離堂・独鈷の滝があります。

    龍泉寺男坂上のストリートビューで、カメラ北北西方向が大本堂です。

    龍泉寺(目黒不動尊)大本堂前のストリートビューで、カメラ東方向に鐘楼があります。

    龍泉寺(目黒不動尊)大本堂裏・大日如来像前のカメラです。

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