マーカーは港区立郷土歴史館・旧公衆衛生院です。
関連リンク – 福江藩五島家上屋敷跡
「国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP745・コマ番号416/553から福江藩屋敷の変遷について記載されています。P746・コマ番号417/553「下屋敷並抱屋敷 白金臺 芝区白金三光町」がこの地になります。
五島盛成
[文化13年(1816年)4月8日、肥前国福江藩第9代藩主・五島盛繁の長男として生まれる。生母が側室だったため、文化15年(1818年)2月10日に正室の養子となり、文政3年(1820年)2月14日に世子に指名された。文政12年(1829年)12月24日に父が隠居したため、家督を継いだ。漢詩・和歌・俳句に造詣が深く、別荘として「嘯月園」や「不老庵」を設けて曲水の宴を催すほどの教養人でもあった。
弘化3年(1846年)から家臣の禄高改正など、人事改革を推し進めた。幕末期に入ると、もともと外国船などで海防問題が高まっていたことから攘夷思想が高まっており、嘉永2年(1849年)、幕府より国防強化のために石田城築城の許可を受けて、文久3年(1863年)に完成した。
安政5年(1858年)1月21日、三男・盛徳に家督を譲って隠居し、二の丸に隠殿を造立し、心字ヶ池を中心とする林泉式庭園を併設した。現在、この石田城五島氏庭園は、国指定名勝となっている。 (wikipedia・五島盛成より)]
国立公衆衛生院
[国立公衆衛生院(The Institute of Public Health)は2002年(平成14年)に改組・廃止された、日本の公衆衛生の向上を目的とした調査研究機関であった。
公衆衛生院の建物および設備は、アメリカ・ロックフェラー財団から日本政府への寄贈である。援助額は当時のお金で総額350余万ドル。世界保健機関 (WHO) は国立公衆衛生院を「School of Public Health(公衆衛生大学院)」として紹介している。
2002年(平成14年)4月1日付けで組織が改組され、国立感染症研究所の一部などと共に国立保健医療科学院となり、多極分散型国土形成促進法により現在は埼玉県和光市に移転している。旧建物は文化財的価値から保存され、ゆかしの杜として2018年にオープンした。 (wikipedia・国立公衆衛生院より)]
港区立郷土歴史館
[この建物は、東京大学建築学科教授の内田祥三(よしかず)により設計され、昭和13(1938)年に建設された旧公衆衛生院です。構造は鉄骨・鉄筋コンクリート造、スクラッチタイルで覆われたゴシック調の外観で、「内田ゴシック」と呼ばれる特徴的なデザインとなっており、隣に建つ東京大学医科学研究所と対になって建てられました。
建物の内部にも、講堂や教室・研究室などのほか、細部にわたる意匠など当時の状態を伝える部分が多くあります。歴史的に貴重なこの建物を保存・改修し、郷土歴史館を中心とした複合施設として活用しています。 (「建物について | 港区立郷土歴史館」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 目黒白金辺図(嘉永七年・1854年)」(絵図中下方向に瑞聖寺が描かれ、その右上に五島左衛門尉(五島盛成)下屋敷が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [4]拾六中(弘化三年・1846年)」(コマ番号2/5・絵図四つ切右上・瑞聖寺左に五嶋左衛門尉下屋敷、抱屋敷が描かれています。)
「港区立郷土歴史館(旧公衆衛生院) – Google Map 画像リンク」
港区立郷土歴史館前のカメラです。