芝村藩織田家上屋敷跡

マーカーは芝村藩織田家上屋敷跡(大和芝村藩織田家屋敷跡遺跡)です。

関連リンク- 芝村藩織田家下屋敷跡

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP903・コマ番号495/553から芝村藩屋敷の変遷について記載されています。「上屋敷 麻布白金臺」がこの地になります。

大和芝村藩織田家屋敷跡遺跡
[大和芝村藩織田家屋敷跡遺跡(港区No.177遺跡)は、東京メトロ都営三田線白金高輪駅の南西、国道1号線に面した白金台地にあります。平成30年5月から平成31年2月まで発掘調査を行い、縄文時代奈良平安時代の遺物、江戸時代以降の遺構と遺物が検出されました。
もともと谷地が埋没した地形で、最も深い地点からは縄文土器が出土しました。江戸時代に大きく土地が改変され、主に織田家の屋敷地として使用されています。この織田家は織田信長の弟・織田有楽斎(おだうらくさい)を祖とする1万石の小藩の大名で、領地の大和芝村は現在の奈良県桜井市にありました。
 遺跡は江戸時代に造成されたと考えられる2段の平坦面(A区、B区)からなります。遺構は礎石を持つ建物跡、井戸、地下室(ちかむろ)、段切りなどが検出され、約10万点の遺物が出土しました。
 現在整理作業を行っており、作業の進んでいるA区の遺構について記載します。19世紀代の68号井戸からは極めて薄いガラス製品、箱庭道具などが出土しています。また、同時期の66号井戸からは多量の遺物が出土しており、その中には織田家の「木瓜文(もっこうもん)」の家紋をあしらった軒丸瓦(のきまるがわら)が5点出土しています。その他にも徳利、ミニチュア道具、鳥のエサ入れとなる餌猪口(えちょく)、水注(すいちゅう)などが出土しています。遺跡からは生活道具が豊富に出土していることから、今後、江戸郊外の大名屋敷の様子がさらに解明されていくことでしょう。
 なお、当地は明治36年に宇和島藩伊達家(うわじまはんだてけ)に渡り、伊達家が大正時代に建てた総欅造り(そうけやきづくり)の門は江戸東京たてもの園に移築されており、貴重な文化財となっています。(令和元年7月)  (「東京都埋蔵文化財センターTOKYO METROPOLITAN …」より)]

[芝村藩織田家の下屋敷は青山にもありましたが、『目黒白金辺図』を見ると、白金に二ヶ所、上屋敷の北、白金1丁目児童遊園の右と、上屋敷の南、明治学院大学南側に織田豊前守下屋敷が描かれています。しかし白金1丁目児童遊園の右は『御府内場末往還其外沿革圖書. [2]拾六上』では織田大蔵大輔となっていて、この織田は高家旗本織田信恭とおもわれます。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [2]拾六上(弘化三年・1846年)」[絵図四つ切左上に織田丹後守(織田長恭)と描かれています。その右方向に織田大蔵大輔(織田信恭)下屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図(嘉永三年・1850年)」[絵図上中央に織田丹後守(織田長恭)上屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 目黒白金辺図(嘉永七年・1854年)」(絵図四つ切右下・織田豊後守上屋敷と描かれています。豊後守は豊前守(織田長易)の間違いかと思います。)

カメラ南西方向が大和芝村藩織田家屋敷跡遺跡進入路になります。