森藩久留島家下屋敷跡(畠山記念館)

マーカーは畠山記念館です。

[豊後国森藩・久留島家の下屋敷があった場所は、現在は畠山記念館になっています。下屋敷とは、庭園を兼ね備えた別邸、および上屋敷や中屋敷が火災などで焼失したときの避難場所としての機能を持っていました。久留島家は森藩を興して一度も改易されることなく12代(270年間)まで続いた外様の藩です。久留島家は瀬戸内海村上水軍と共に活躍をした来島水軍を引き連れていた名族で、2代藩主・来島通春のときに姓を来島から久留島と改められています。日本人なら全員が知っているのであろう有名な童謡の「夕焼け小焼け」の作詞者は久留島武彦(最後の藩主・久留島道靖の孫)といい、日清戦争から帰還した後に作られたものです。武彦は尾崎紅葉などの俳人と交流があり、童謡の読み聞かせ活動でまわった全国の幼稚園や小学校は6千ヶ所を数えたそうです。  (「東京都 168ヶ所を紹介しています。」より)]

畠山記念館
[畠山記念館は、茶道具を中心に、書画、陶磁、漆芸、能装束など、日本、中国、朝鮮の古美術品を展示公開している私立美術館です。収蔵品は、国宝6件、重要文化財32件を含む約1300件です。(→ コレクション)春夏秋冬季節の移り変わりに合せて年4回、作品を取り合わせて展示しています。
創立者畠山一清(1881―1971)は能登国畠山氏の後裔で、東京帝国大学工科大学を卒業、技術者としてポンプの開発に取組み、株式会社荏原製作所を興して実業界に名を馳せました。事業のかたわら、即翁と号して能楽と茶の湯を嗜み、長年にわたり美術品の蒐集に努めました。昭和の初めには旧寺島宗則伯爵邸のあった白金猿町の土地約三千坪を購入、明治13年に天覧能が催されたという由緒あるこの地に、奈良般若寺の遺構や、加賀前田家重臣横山家の能舞台などを移築して、私邸「般若苑」を造営し、昭和18年に開苑の茶会を催しています。
戦後、国宝の「林檎花図」「煙寺晩鐘図」をはじめ、大名茶人松平不昧の茶道具や加賀前田家伝来の能装束など、今日の畠山記念館の中核をなす美術品の蒐集がおこなわれました。畠山即翁は主として茶事の場において所蔵の美術品を披露してきましたが、その文化的価値に鑑み、恒久的な保存を図るとともに、広く一般の研究鑑賞に資するため、苑内の一角に美術館を建設、昭和39年10月に財団法人畠山記念館が開館しました。  (「畠山記念館について」より)]

資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 目黒白金辺図」[絵図左下程に久留島信濃守(森藩)下屋敷(港区白金台2-20)が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号3/7・絵図中央「久留島伊豫守」「久留島抱屋敷」と描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内場末往還其外沿革圖書. [6]拾六下」(コマ番号4/5・絵図四つ切右上、久留島伊豫守・抱屋敷・抱地が描かれています。)

畠山記念館 – Google Map 画像リンク

絵図右側・三田用水から左下方向に流れる水路が久留島上口分水と思われます。久留島上口分水の下に久留嶋祥丸(森藩)下屋敷が描かれています。久留島上口分水の名称は久留嶋祥丸下屋敷から来ていると思われます。)

国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」(上絵図は江戸御場絵図からの切り取りコピーです。江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。)

カメラ南西方向が畠山記念館の表門です。

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