行人坂

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    上地図右のサードバーのマーカーポイント名をクリックするとマーカーポイントの吹き出しが表示されます。

    国立公文書館デジタルアーカイブ – 江戸御場絵図」[江戸御場絵図表示は南北逆になっていますので、反転表示すると見やすくなります。反転表示した絵図中央右方向・「森河内守」左上に行人坂が描かれています。]

    東京府15区8郡時代の町村区分図」 – 「最新交通指導地図荏原郡碑衾町」[地図右上目黒町の大圓寺上が行人坂です。]

    今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部  谷 謙二(人文地理学研究室)首都圏編」で明治期以降の新旧の地形図を切り替えながら表示することができます。
    1896~1909年地図で太鼓橋右に行人坂が描かれています。

    行人坂
    [行人(ぎょうにん)坂は、下目黒1丁目8番の雅叙園西わきを北東へ、目黒川太鼓橋から目黒駅の東方に上る急坂である。この坂は、江戸時代権之助坂が開かれる前は、二子道として、江戸市中から目黒筋に通じる大切な道路であった。いまは、権之助坂の方が広くてにぎやかだが・・・・・・。
    江戸名所図会」には「目黒へ下る坂をいふ。寛永の頃、湯殿山の行者某、大日如来の堂を建立し、大円寺と号す」とある。行人坂という名称は、湯殿山の行者(法印大海)が大日如来堂(現大円寺)を建て修行を始めたところ、次第に多くの行者が集まり住むようになったのでつけられたという。また、この坂は「振袖火事」「車町火事」と並ぶ江戸三大火のひとつ(行人坂火事)とも関連して知られている。行人坂火事は明和9年(1772年)2月、行人坂の大円寺から出た火が延焼し、3日間も燃え続けたというものである。明和9年の出来事であったので、だれいうとなく「めいわくの年」だと言い出したので、幕府は年号を「安永」と改めたといわれている。現在、目黒雅叙園のある付近一帯は、かつて「夕日の岡」と呼ばれ、紅葉が夕陽に映えるさまは実に見事で、品川の海晏(かいあん)寺とともに、江戸中に知れわたっていたところである。(「明王院の後ろの方、西に向かへる岡をいへり。古へは楓樹数株梢を交へ、晩秋の頃は紅葉夕日に映じ、奇観たりしとなり。されどいまは楓樹少なく、ただ名のみを存せり」「江戸名所図会」)。行人坂が急坂であることは、権之助坂を下ったところにある「新橋」よりも「太鼓橋」が低い位置にあることからうかがえる。  (目黒区ホームページより)]

    富嶽三十六景(葛飾北斎) – 下目黒(しもめぐろ)

    行人坂資料リンク
    国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 目黒白金辺図」(絵図中央左上・細川越中守下屋敷の上方に行人サカ・大圓寺が描かれています)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [4]拾六中」(コマ番号4・地図中心より右上方向に太鼓橋、行人坂、行人坂右に大円寺が描かれています。)

    『江戸名所図会」・夕日岡行人坂富士見茶屋

    江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「夕日岡行人坂」(7-49)、「行人坂解説・左ページ右」(7-48)、「夕日の岡、太鼓橋解説・右ページ1行目より」(7-52)、「富士見茶屋」(7-50) 

    行人坂 – Google Map 画像リンク

    カメラ位置は行人坂の坂上で、カメラ西南西方向が行人坂です。

    カメラ南方向・祠左に行人坂の案内板が設置されています。

    カメラ位置は行人坂の坂下・太鼓橋東詰めで、カメラ東北東方向が行人坂です。

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