マーカーは北野神社です。
北野神社
[創建年代は不詳。往古より天神町の天神様として崇敬されてきた。境内には稲荷社もあり、嘉永年間(1848-54)のころは稲荷社の信仰が高まり古絵図にも稲荷社と記載が残っている。昭和20年5月の戦災にて社殿焼失。そののちに再建している。 (「神のやしろを想う 郷土の鎮守様~新宿北部の神社散歩 」より)]
[大橋龍慶生前の『正保江戸図』の天神町北部に「天神」「別当」がある。「天神」は牛込天神社、「別当」は寛永九年(一六三二)起立の真定院である。現在の天神町七五の北野神社とほぼ同じ場所である。
しかし、正保二年(一六四五)龍慶が没すると牛込西部は済松寺開基の祖心尼に与えられ、牛込天神社は穴八幡下に移された。跡地は稲荷となり、のちにこの辺りを抱屋敷とする徳川御三卿の清水家家臣たちによって祀られたという。 (「公益社団法人 新宿法人会 – 新宿歴史よもやま話 第56回」より)]
渡邊坂
[【標 識】
説 明: 江戸時代、坂の東側に旗本渡邊源蔵の屋敷があったのでこう呼ばれた。源蔵は五百石取りの御書院番で、寛文七年(一六六七)に市谷鷹匠町の屋敷と引換えにこの屋敷を拝領し、渡邊家は幕末までこの地にあった。
設置者: 新宿区教育委員会
設置日: 平成十三年三月(坂上部、坂下部の標識)、平成十六年二月(坂下の標識) (「渡邊坂(新宿区) – 東京23区の坂道」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 小日向絵図」(絵図四つ切右上の中央付近に渡邊源蔵屋敷地が描かれ、屋敷地の右が渡邊坂で、坂右方向にイナリと描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [18]拾九利」(コマ番号7/7・地図中央から右上方向に渡邊源次郎屋敷地が描かれ右側道路が渡邊坂です。坂右方向の市岡財次郎抱屋敷地の右が北野神社地のようです。)
カメラ位置は渡邊坂の坂下で、カメラ西方向が北野神社参道です。参道手前右に渡邊坂の標柱があります。
北野神社拝殿前のカメラです。