マーカーは善国寺です。
善国寺
[善国寺(ぜんこくじ)は、東京都新宿区神楽坂にある日蓮宗の寺院である。池上本門寺の末寺で鎮護山善国寺という。 開基は徳川家康、開山は日惺上人と伝わる。正式には善國寺と称される。
安土桃山時代の文禄4年(1595年)、池上本門寺第12代貫主である日惺上人により、馬喰町に創建される。 たびたび火災に見舞われ、麹町を経て寛政5年(1793年)には現在地へ移転した。 本尊の毘沙門天は江戸時代より「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集め、芝正伝寺・浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれた。 現在は山手七福神の一つに数えられている。神楽坂に面した入口・wikipedia-photo
本堂・wikipedia-photo
●毘沙門天像 – 新宿区指定有形文化財(彫刻)
像高30cm、木造の毘沙門天像。製作時期は不明。開山の日惺上人が池上本門寺へ入山する際、関白二条昭実より贈られたとされる。 なお通常は御簾が掛かっているため像を直接見ることはできない。御開帳の日は、(毘沙門天が寅年、寅の月、寅の日に初めてこの世に姿を現したとされる古事に因み、)毎年1月・5月・9月の寅の日とされている。
●石虎 – 新宿区指定有形民俗文化財
本堂の左右には神社の狛犬のように阿吽一対の狛虎像が置かれている。案内板には「石虎」と表記され、制作は江戸時代後期のもので、保存状態は向かって右側の阿形が比較的良く残っている。向かって左の吽形には全身にヒビ割れや多少の欠けと縞模様に若干の磨耗がありこれは東京大空襲による損傷とその後の修復の痕とされる。虎の作風は頭部が扁平し前肢が長大でどちらかといえば類人猿にも近い印象の肉付きの良い作風の像である。台座部にも虎のレリーフ彫刻が施されている。石虎(狛虎)阿形・wikipedia-photo
(wikipedia・善国寺より)]
[徳川家康より天下安全の祈祷の命をうけ、文禄4年(1595年)に麹町6丁目(千代田区)に創建しました。寛文10年(1670年)に火災に遭いましたが、延宝2年(1674年)に本堂と鎮守の毘沙門堂を再建。その後も度重なる火災ののちに移転しました。有名な『毘沙門天像』(区指定文化財)は、加藤清正の守仏とも伝えられています。毘沙門天は多聞天の別称で四天王のひとつ。仏法や北方を守護する軍神であり、のちに七福神のひとつとして庶民の信仰を集めるようになりました。明治末期に境内に出世稲荷があることから、縁日が開かれるようになり、「神楽坂の毘沙門様」として賑わいました。東京で縁日に夜店が出るようになったのは、ここが発祥といいます。 (新宿区観光協会ホームページより)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 小日向絵図」(絵図上端中央付近に善国寺が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 十一之二」(コマ番号2/3・地図中央下方向に善国寺が描かれています。)
カメラ南南西方向が善国寺山門です。
善国寺本堂前のカメラです。