牛込牡丹屋敷跡

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マーカーは牛込牡丹屋敷跡です。

牛込牡丹屋敷
[牛込牡丹屋敷。豊島郡野方領牛込村内にあったが、武家屋敷になった。八代将軍吉宗の時代、岡本彦右衛門が吉宗に供して紀伊国(現和歌山県)から出てきた際、武士に取りたてようと言われたが、町屋が良いと答えこの町を拝領した。屋敷内に牡丹を作り献上したため牡丹屋敷と唱えた。その後上り屋敷(江戸時代の狩猟地における休憩所)となり、宝暦12年(1762)12月24曰に地所を三分割し、そのうち一ケ所が拝領町屋となった(町方書上)  (「牛込牡丹屋敷 | てくてく 牛込神楽坂」より)]

[紀州出身の岡本彦右衛門が牛込村に町屋を拝領、牡丹の花を将軍に献上し、家号を牡丹屋彦右衛門と称し、家伝の薬熱湯散を製造。
『角川日本地名大辞典 13 東京都』『江戸・町づくし稿 中』ともに〈牡丹屋敷〉の項に記述あり。  (「元文2年、幕府が朝鮮人参の生育を試みさせた江戸の園芸業者3人 …」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 市ヶ谷牛込絵図」(絵図左下・牛込御門右上に牡丹屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 十一之二」(コマ番号2/3・絵図下中央付近牛込御門左上に牡丹屋敷が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 十一」[コマ番号(149/208)・元禄十二年之形(1699年)の左下に水野?右衛門と記述されています。コマ番号(150-151/208)・享保(1716年-1735年)、元文(1736年-1740年)年中之形では牡丹屋敷と記述されています。コマ番号(152/208)・宝暦年中之形(1751年-1764年)では町屋になっています。]

カメラ西方向に牛込牡丹屋敷がありました。

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