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目白坂(目白不動堂)
[【標識(文京区教育委員会設置)の説明】
西方清戸(清瀬市内)から練馬経由で江戸川橋北詰にぬける道筋を「清戸道」といった。主として農作物を運ぶ清戸道は目白台地の背を通り、このあたりから音羽谷の底地へ急傾斜で下るようになる。この坂の南面に、元和4年(1618)大和国長谷寺の能化秀算僧正再建による新長谷寺があり本尊を目白不動尊と称した。そもそも三代将軍徳川家光が特に「目白」の号を授けたことに由来するとある。坂名はこれによって名付けられた。『御府内備考』には「目白不動の脇なれば名とす」とある。かつては江戸時代「時の鐘」の寺として寛永寺の鐘とともに庶民に親しまれた寺も、明治とともに衰微し、不動尊は豊島区金乗寺にまつられている。
目白台の空を真北に渡る雁
稀に見る雁の四・五十羽かも
窪田空穂(1877-1967) (「文京区の坂(11) ~ 音羽・関口方面」より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 音羽絵図」(絵図下中央付近・目白不動別当新長谷寺、その上に目白坂が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 府内場末其外往還沿革図書. [18]拾九利」(コマ番号6/7・地図中央付近目白不動別當新長谷寺と描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「目白不動堂」(12-30)、「目白不動堂解説-1・左ページ中程から」(12-29)、「目白不動堂解説-2・左ページ4行目まで」(12-31)
目白不動堂(拡大図)
絵本江戸土産 – 目白不動(拡大図)
目白坂上・カメラ南東方向が目白坂です。
目白坂下・カメラ東北東方向に標識板があります。