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神楽坂
[神楽坂(かぐらざか)は、東京都新宿区にある早稲田通りにおける大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂である。なお大久保通りとの交差点が「坂上」、外堀通りとの交差点が「坂下」となる。
「神楽坂」の名前の由来について、「江戸名所図会 巻之四」(天保7年)によれば、この坂の右側に高田 穴八幡宮の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれる。 また、「改撰江戸志」(原本は残っておらず成立年代は不明だが文政以前にすでに存在が確認されている)には、津久戸明神が元和の頃に牛込の地に移転した時、神輿が重くてこの坂を上ることができなかったが、神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、この時より「神楽坂」の名が付いたと記されている。 (wikipedia・神楽坂より)]
[坂名の由来については諸説あり、江戸時代中期にはすでに坂の由来は不明になっていました。市谷亀岡八幡宮の祭礼でみこしがここで神楽を奏するため、または、若宮八幡の神楽が坂まで聞こえてくるため、さらに赤城明神の神楽堂があったため、などさまざま。明治28年、甲武鉄道牛込停車場の開設をきっかけに、坂の付近は商店街や住宅地として急速に発展。明治時代後期には牛込区第一の繁華街となりました。大正から昭和の初期にかけて新しい東京の盛り場として賑わい、「山の手銀座」と呼ばれました。とくに善国寺毘沙門天の縁日は人気を集めました。当時神楽坂は、硯友社や早稲田派の文人らが集い、活動する場であり、早稲田大学の学生らの町でもありました。 (新宿区観光協会ホームページ – 神楽坂あたり – 神楽坂より)]
「/江戸坂見聞録/神楽坂」、「森川和夫:廣重の風景版画の研究(1)109」
神楽坂資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 小日向絵図」(絵図左上に神楽坂が描かれています。)
「国立国会図書館デジタル化資料 – 御府内往還其外沿革図書」 – 「十一[203] -148~155/203、162~170」(絵図下に神楽坂が描かれています。)、「183~186/203」(絵図左に神楽坂が描かれています。)、「十一之二[3] -2/3」(絵図中央右下に神楽坂が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「牛込神楽坂」(11-41)、「神楽坂解説・右ページ中程」(11-40)
牛込神楽坂(拡大図)
神楽坂上・カメラ位置は善国寺前でカメラ東南東方向が神楽坂です。坂左に神楽坂の標柱があります。
カメラ南南西方向が明治2年創業のうなぎのかぐら坂 志満金です。(かぐら坂 志満金 (かぐらざか・しまきん) – 神楽坂/うなぎ [食べログ])
カメラ南西方向が明治17年創業の蕎麦の翁庵です。(翁庵 – 飯田橋/そば [食べログ])
神楽坂下・カメラ北西方向が神楽坂で、坂右に神楽坂の標柱があります。