鳩山会館

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鳩山会館
[鳩山会館は、内閣総理大臣を務めた鳩山一郎の邸宅を記念館として一般に公開したものである。東京都文京区音羽にあることから音羽御殿(おとわごてん)の通称で知られ、戦後政治史の舞台の一つに数えられている。
現在は、修復を加えて記念館として一般に公開され、往時の応接室や居間、鳩山家歴代の愛用品、記念品等を見学することができる。
1950年3月、民主自由党民主党の大合同により自由党(現:自由民主党)が発足した。このとき一郎が中心人物の一人として動いたことから、彼の私邸が会合の場として度々用いられ、自由党の創設や政策論議を交わした。一郎が首相に就任したのちにはソ連との国交回復に向けた打ち合わせもここで行われている。
太平洋戦争中の空襲により屋根に損害を受けた。また、一郎の後継者・威一郎が書斎を増築するなどの改造が行われた。
竣工後70年となり老朽化が著しく進んだが鳩山家の業績を伝える記念館「鳩山会館」として再生することになり、1995年に大規模な修復工事が行われた。このとき増築部分の書斎を撤去、屋根が竣工当時の姿に復元され外壁の焦げ跡も修復されるなど往時の姿を取り戻した。なお集会施設として使用するため、2階の寝室部分は大広間に改造された。1996年6月1日にオープン。
設計者は一郎の高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)時代からの友人で当代の代表的建築家、岡田信一郎である。
岡田信一郎は様式建築を得意とし、その手腕は鳩山邸でも発揮されている。アダム・スタイルの応接間などイギリスの邸宅を思わせるが1階部分では部屋の境の扉を大きく開くことで各室を連続して使用することができ、日本家屋のような開放的な空間を作り出している。
鳩山会館(東京都文京区)・wikipedia-photo、「1階。食堂から第2、第1応接室」・wikipedia-photo、応接室「音羽御殿の応接室に集まった自民党幹部(1956年)。中央に一郎、左に石橋湛山、その左に河野一郎、右には安藤正純、その右に三木武吉が見える。脳梗塞の後遺症で体が不自由だった鳩山はこの瀟洒な大邸宅を政治の場に活用した。」・wikipedia-photo、サンルーム・wikipedia-photo、サンルーム「脳梗塞の症状からひとまず回復した一郎(右)を音羽御殿に訪ねて歓談する吉田茂(1952〜1954年頃)」・wikipedia-photo、ステンドグラス・wikipedia-photo、鳩の装飾・wikipedia-photo、木菟の装飾・wikipedia-photo  (wikipedia・鳩山会館より)]

鳩山会館ホームページ

鳩山会館 – Google Map 画像リンク

鳩山会館正門のストリートビューです。

鳩山会館車寄のストリートビューです。

鳩山会館応接室のストリートビューです。

鳩山会館サンルームのストリートビューです。

鳩山会館庭園のストリートビューです。

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