文京総合福祉センター(神田上水旧白堀跡)

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文京総合福祉センター(神田上水旧白堀跡)
[小日向一・二丁目南遺跡
 東京都文京区小日向2丁目16-15の旧第五中学校(2009年閉校)跡地から、江戸時代に造られた神田上水の「白堀(しらほり)」とみられる遺構の一部が発見された。 文献に記述はあったが発見は初めて。
 神田上水は、三鷹市の井の頭池を水源に、文京区関口付近で取水し、当時の江戸市中に給水した。このうち白堀は、関口大洗堰(おおあらいぜき)から現在の小石川後楽園にあった水戸藩上屋敷までの開渠(蓋のない地上の水路)部分の約2kmで、1629年に完成した。
 今回発見されたのは、江戸後期のものとみられる長さ約30mで、深さは1m程度で、石垣で底と片方の側面が覆われていたが、もう片面が見つかっていないので幅は不明。 地形や史料などから約4~5mと推測されている。 側面には、30cm四方の石が縦三段に隙間なく積まれていた。
 また、約5m離れた場所からは江戸初期のものとみられる長さ約1mの遺構も見つかった。
 白堀は、「東京市史稿 上水編」には「小日向上水」として記録が残る。 明治9年(1876)に埋められ、現在の区道「巻石通り」となった。
 今回の調査で、白堀に使われた石が江戸城石垣と同じ伊豆石だったことが新たに判明した。 また、石を固定するため石段の下に敷く「胴木(どうぎ)」と呼ばれる木材が、非常に高品質だったことも裏付けられた。
 区は、白堀の一部を現地保存し、2015年に開業を予定する新しい福祉センターで、常設展示する調整を進めている。  (「東京文京区 江戸時代、神田上水「白堀」水路跡遺構を発見 – 歴歩」より)]

[このたび、東京都水道歴史館に隣接する本郷給水所公苑内において、神田上水(白堀部分)の復原展示物が完成しました。これは、平成23年12月、文京区小日向にある区立第五中学校跡地で発見された神田上水の白堀部分(蓋をしていない水路のこと。)の一部を当局で保管してきたものです。
 白堀については、これまで文献に記述はあったものの発見されたのは初めてで、江戸の上水道の歴史を理解する上で非常に貴重なものです。ぜひ現地で実物をご覧ください。  (「神田上水(白堀部分)復原展示物が完成|東京都」より)]

神田上水留. [13] 神田上水白堀通余垂板其外共御普請一件 弘化三午年六月より同四年二月 御普請方 分冊ノ一」(29~34/85・水戸藩上屋敷までの白堀通沿いの神田上水白堀が描かれています。)
神田上水留. [14] 神田上水白堀通余垂板其外共御普請一件 弘化三午年六月より同四年二月 御普請方 分冊ノ二」(17~19/90・神田上水白堀からの給水図が描かれています。)
神田上水留. [15] 神田上水白堀通余垂板其外共御普請一件 弘化三午年六月より同四年二月 御普請方 分冊ノ三」(79~88/93・神田上水白堀の排水渡りの掛樋図画。)
神田上水留. [33] 神田上水白堀通余垂板其外共御普請一件 文久ニ戌年四月より十一月 御普請方 分冊ノ一」(25~35/71・水戸藩上屋敷までの白堀通沿いの神田上水白堀が描かれています。)
神田上水留. [37] 神田上水白堀通余垂板其外共御普請一件 文久ニ戌年四月より十一月 御普請方 分冊ノ五」(8~15/74・水戸藩上屋敷までの白堀通沿いの神田上水白堀が描かれています。)

カメラ位置は文京総合福祉センター前で、カメラ北北東方向に神田上水旧白堀跡案内板が設置され、その左の格子の向こうに復原展示物が展示されています。

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