北の天王社(品川神社)

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    北の天王社(品川神社)
    [品川神社(しながわじんじゃ)は、東京都品川区北品川三丁目にある神社である。東京十社のひとつ。同じ地区内にある荏原神社(えばらじんじゃ)は「南の天王社」と呼ぶばれるが、品川神社は「北の天王社」と称される。また東海七福神の1社として大黒天を祀る。文治3年(1187年)源頼朝安房国洲崎神社から天比理乃咩命を勧請して祀ったのに始まると伝えられる。明治5年(1872年)郷社に列した。昭和50年、東京十社に列した。
    境内
    ●鳥居 – 境内入り口の階段前に、門柱に龍の細工が施された石鳥居「双龍鳥居」がある。左の柱に昇り龍、右の柱に降り龍が彫刻されている。双龍鳥居は杉並区高円寺馬橋稲荷神社にもあり、当社のものと合わせて「東京三鳥居」ともいわれている。
    ●境内社 – 浅間神社(傍には富士塚の「品川富士」がある)
    拝殿・wikipedia-photo、境内入り口にある双龍鳥居・wikipedia-photo、双龍鳥居の正面右側の「降り龍」の拡大 ・wikipedia-photo、神楽殿 ・wikipedia-photo、浅間神社(左側に品川富士)・wikipedia-photo、富士塚(品川富士) ・wikipedia-photo  (wikipedia・品川神社より)]
     
    [品川宿での夏の行事について、天保9年(1838)に出版された『東都歳時記』夏の部から旧暦6月の行事を紹介しましょう。
      品川宿の6月の行事は貴布禰社(今の荏原神社)と北品川稲荷社(今の品川神社)の牛頭天王祭から始まります。貴布禰社の祭礼を南の天王祭といい、北品川稲荷社の祭礼を北の天王祭とよんでいました。江戸時代の南北天王祭は、6月7日に神輿の宮出しから始まり19日に宮入りして終わる13日間の祭りでした。現在は、6月7日に近い金曜日から日曜日にかけて3日間で行われています。
     南の天王祭での神輿は、社を出て、南品川宿内と門前町屋など氏子町を渡御し、海晏寺門前(今の南品川3丁目)から海中にかつぎ込み、海中を渡御して南品川猟師町から上陸し、南品川1丁目の御仮屋に入りました。この神輿が海中を渡御するところから、荏原神社の天王祭を「かっぱまつり」とよんでいます。砂浜や浅瀬のなくなった現在は、お台場海浜公園まで舟で運んで海中渡御が行われています。
     北の天王祭では、大神輿が東海寺・清徳寺の両門前から東海寺境内に入り、北品川宿・歩行新宿(かちしんしゅく)の氏子町を渡していきました。両社の神輿には特徴があり、大ツツミ(締め太鼓)を取り付け、笛と鉦にて拍子をとり、かつぐ者はこの拍子に従って進めたり、さしたり、神輿をおさめたりするのです。  (「東海道品川宿のはなし 第10回|品川区 – 品川区 Shinagawa City」より)]

    [『江戸名所図会』に北品川宿の名所として大きくとりあげられているのは、東海寺周辺です。挿し絵も6ページにわたる鳥瞰図(ちょうかんず)で、御殿山から牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)(現在の品川神社)、清徳寺(せいとくじ)と東海寺の本堂山門目黒川両岸の塔頭(たっちゅう)寺院をも描いた境内パノラマ絵図です。
    牛頭天王社とあるのは、今の品川神社のことで、東海寺の開創にともなって境内地が鬼門(きもん)(北東方向)にあたることから明治維新まで東海寺の鎮守となっていました。品川神社は、古くは品川大明神といわれ、江戸時代には北品川稲荷社と呼ばれていました。牛頭天王を勧請(かんじょう)したのは、室町時代と考えられています。  (「江戸から明治の品川名所 第3回|品川区 – 品川区 Shinagawa City」より)]

    しながわ観光協会(東京都品川区) – Kita-no Tennō-sai (Main festival of …

    品川神社 – 東京都品川区 – 都内最大の富士塚がある北品川の鎮守 – 旧准 …

    北の天王社(品川神社)資料リンク
    国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図」(絵図左下「御殿山」の左下に「天王社 清徳寺 稲荷」と描かれています。)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 品川芝筋白金麻布. [1]」(コマ番号3/8・絵図左下「御殿山」の左下に「稲荷」その右に「清徳寺」と描かれています。)

    国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号2/7・絵図中央左「東海寺」上に「稲荷」「清徳寺」が描かれています。)

    「江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・「牛頭天王社東海禅寺-1」、「牛頭天王社東海禅寺-2」、「牛頭天王社東海禅寺-3」、「牛頭天王社東海禅寺-4

    江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「萬松山東海禅寺解説-1」(4-5)、「牛頭天王社東海禅寺・右ページが萬松山東海禅寺解説-2」(4-6)、「其二」(4-7)、「其三」(4-8)、「其四・左ページが萬松山東海禅寺解説-3」(4-9)、「萬松山東海禅寺解説-4」(4-10)、「萬松山東海禅寺解説-5」(4-11)、「少林院縣居大人墓林泉南郭先生墓・解説は左ページ」(4-12)[縣居大人は賀茂真淵、南郭先生は荻生徂徠の高弟として知られる服部南郭のこと。]

    東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編]」・「御殿山天王社」(6-68)

    双龍鳥居(品川神社) – Google Map 画像リンク」、「芳葉岡冨士 浅間神社 – Google Map 画像リンク」、「手水舎(品川神社) – Google Map 画像リンク」、「品川神社 神楽殿 – Google Map 画像リンク」、「品川神社 – Google Map 画像リンク

    カメラ西方向が品川神社参道です。

    カメラ西北西方向が品川神社拝殿です。

    富士塚頂上のカメラです。