マーカーは園真寺です。
園真寺
[この円真寺は、雲井龍雄が拠点として「帰順部曲点検所」を置いた場所である。のちに「雲井龍雄事件」と呼ばれる事件は、雲井龍雄がこの円真寺と隣の上行寺に「帰順部曲点検所」を設置し、敗残の不平浪士達を集め、朝廷に対し常備軍に編入させるよう求め、その実はこの願いを朝廷が聞き届けたなら、官支給の武器を以て内部蜂起し、政府を襲うというものであった。雲井龍雄や同士であった原直鉄等がこの円真寺と上行寺(現存せず)を借りたのは明治3年2月18日頃で、両寺合わせ寄宿したのは80名近いと思われる。26日には官憲に届け出ている。龍雄は、両寺の門柱に「帰順部曲点検所」の看板を掲げたという。 (「史跡東京港区」より)]
資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図」(絵図中央上方向・黄梅院の左に円信寺(園真寺)が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 品川芝筋白金麻布. [1]」(コマ番号3/8・絵図右端中央付近「黄梅院」左に「園真寺」が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号3/7・絵図四つ切左上、「九鬼長門守」上方向に「円真寺」が描かれています。)
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「覚心寺清林寺上行寺園真寺黄梅院」(7-40)
覚心寺清林寺上行寺園真寺黄梅院(拡大図)
[図会左ページ下道の下側、左から黄梅院、園真寺、上行寺(昭和三十七年伊勢原に移転)、右ページ上から承教寺、清林寺、覚心寺(不明)と記述されています。]
カメラ西方向が園真寺参道です。