寄木明神社

マーカーは寄木明神社です。

寄木明神社
[『江戸名所図会』には、南品川猟師町と利田新地の名所として、洲崎弁天と寄木(よりき)明神社の2ヵ所が挿し絵とともに紹介されています。
南品川猟師町のもうひとつの名所「寄木明神社」現在の寄木神社で日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)が祀られています。挿し絵では、海岸に漁師の舟のほか、魚を取る網や海苔養殖に使う「粗朶(そだ)ひび」という木の枝も描かれ、漁師町の様子がわかります。『江戸名所図会』には、この寄木明神社の由来について、土地の人たちが弟橘姫の霊を祀るために社を建て、寄木明神としたとあります。この弟橘姫の伝説は、日本武尊が東征(とうせい)の途中、海上が荒れて船が転覆しそうになり、海を鎮めるために妃の弟橘姫が海神に祈願して入水したという、その時の船の残り木が流れ着いたので祀った、または弟橘姫の御衣(ぎょい)が流れ着いたので祀ったといった伝承です。このほかに、源義家(よしいえ)が奥州出兵のときに、この寄木明神に立ち寄り、戦勝祈願をしたといいます。奥州平定後(へいていご)の帰路に再び立ち寄り、をこの社に納めたので、この地を兜島と名付けたなど、この地の伝承を紹介しています。 (「品川区ホームページ-江戸から明治の品川名所 第4回」より)]

[南品川宿1丁目から目黒川に沿って北東の方角に、岬のように海に突出した洲。もとは兜島かぶとじまとよばれた人家のない寄洲よりすであったが、明暦元(1655)年課せられた伝馬役を拒否した人々が移住させられて南品川漁師町ができた後、天保5(1834)年には同町の地先を埋め立てた南品川新開場(利田かがた新地)ができた。先端には洲崎弁天堂があり、利田新地・漁師町と品川北本宿を鳥海橋とりうみばしが結んでいた。なお漁師町は、別名「品川浦」とも呼ばれ、「御菜肴八ヶ浦おさいさかなはちがうら」の1つとして、獲った魚を幕府の御膳所へ献上していた。また、江戸の特産物として有名な浅草海苔は、浅草で販売されたことからこの名になったが、ここから南の鮫洲にある海苔採取場で養殖されたものが原料となった。  (「歌川 広重 初代 | 錦絵でたのしむ江戸の名所 – 国立国会図書館」-「洲崎」より)]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「寄木明神社」(2-22)
寄木明神社(拡大図)

[寄木神社鳥居先が海岸線となっています。]

名所江戸百景[歌川(安藤)広重](品川すさき (現在の東品川1丁目 利田神社)・wikipedia-photo)

寄木神社 – Google Map 画像リンク

寄木明神社参道前のカメラです。

寄木明神社本殿前のカメラです。

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