御田八幡神社

マーカーは御田八幡神社です。

御田八幡神社
[和銅2年(709年)8月、東国鎮護の神として牟佐志国牧岡の地に祀られたのに始まる。寛弘7年(1011年)、武蔵国御田郷久保三田に遷座し、嵯峨源氏渡辺一党の氏神として尊崇された。延喜式神名帳には「武蔵国荏原郡 稗田神社(ひえだじんじゃ)」として記載されている。ただし、「延喜式内稗田神社」は、大田区蒲田の稗田神社・東六郷の六郷神社も論社となっている。徳川家康江戸城入城の際に奇瑞があったことから、現在地である荏原郡上高輪村海岸を開拓して社殿を造営し、寛文2年(1662年)8月に遷座が行われた。しかし、寛文8年2月の大火により社殿は全焼、仮殿が伊皿子坂薬師寺に置かれた。寛文12年8月に社殿が再建され再度遷座された。慶応元年(1865年)に神祇官により延喜式記載の「稗田神社」に改称、明治5年(1874年)に「三田八幡神社」に改称し、郷社に列した。明治30年(1897年)に「御田八幡神社」に復した。昭和20年の東京大空襲で寛文12年造営の社殿が焼失し、戦後の昭和29年に復興された。本殿・wikipedia-photo  (wikipedia・御田八幡神社より)]

「資料館だより」第77号(2016.3.1発行)PDFダウンロード9.3MB – 御田八幡神社の百度石

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図」(絵図中央右方向・土岐美濃守下屋敷の下に三田八幡が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 芝金杉ヨリ麻布白金御殿跡辺絵図」(コマ番号4/5・絵図中央寺町右「土岐伊豫守」右に「八幡宮」と描かれています。)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「三田八幡宮」(3-37)、「三田八幡宮解説-1・左ページ2行目より」(3-36)、「三田八幡宮解説-2・右ページ左から5行目まで」(3-39)
/三田八幡宮(拡大図)

東海道名所図会. 巻之1-6 / 秋里籬嶌 [編]」・「三田八幡宮」(6-71)、「三田八幡宮解説・右ページ左から2行目より」(6-73)

[左ページに御田八幡神社、右ページに芝雑魚場(芝浜)が描かれています。]

狂歌江都名所図会 – 御田八幡 大木戸(拡大図)

御田八幡神社 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が御田八幡神社参道です。

御田八幡神社参道石段前のストリートビューです。

御田八幡神社拝殿前のストリートビューです。

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