本光寺

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マーカーは本光寺です。

本光寺
[本光寺(ほんこうじ)は、東京都品川区南品川にある、顕本法華宗系の単立寺院。山号は経王山。
往時は、真言宗といわれ、室町時代日什により、法華宗に改宗し、経王山本光寺と改称したという。徳川家光が本光寺を訪れ、本光寺18世・日啓と増上寺意伝東海寺沢庵宗彭の立会いのもと、念仏無間の問答(品川問答)をした。近年、アルゼンチンに流出していた上行寺の祖師像が、本光寺へ遷座された。現住は45世木村康之貫首。什師法縁。
歴史
●1382年(永徳2年)本光寺が創建する。
●1642年(寛永19年)本光寺18世・日啓と増上寺・意伝が念仏無間の問答(品川問答)をする。
●1668年(寛文8年)妙満寺江戸触頭となる。
●1690年(元禄3年)梵鐘を鋳造する。
●1923年(大正12年)関東大震災により、本堂が倒壊する。
●1926年(大正15年)本堂を再建する。
●1941年(昭和16年)顕本法華宗と本門宗日蓮宗が三派合同し、日蓮宗と公称する。本光寺は本山となる。
●1948年(昭和23年)日蓮宗を離脱する。塔頭・清光院は日蓮宗に残留する。
●1968年(昭和43年)本堂を再建する。
●1985年(昭和60年)三重塔と宝塔を建立する。  (wikipedia・本光寺_(品川区)より)]

[南品川宿の寺院
次に大きく描かれているのが東海道の西にあたる「本光寺(ほんこうじ)・大竜寺(だいりゅうじ)・天竜寺(てんりゅうじ)・海竜寺(かいりゅうじ)」で、海竜寺は海蔵寺(かいぞうじ)のことです。海蔵寺は品川宿の投げ込み寺といわれ、鈴ヶ森で処刑された罪人や、引き取り手のない死者を葬ったためです。この挿絵の位置は、現在の南品川四丁目付近にあたり、かつて、このあたりは明治後期には字馬場町(あざばんばまち)と字東広町(ひがしひろまち)の一部で、俗に南馬場と呼ばれていたところで、寺院が集中しています。この絵の手前(東海道寄り)には、妙蓮寺(みょうれんじ)・願行寺(がんぎょうじ)・本栄寺(ほんえいじ)・心海寺(しんかいじ)・本覚寺(ほんがくじ)があります。川宿の寺院は、東海寺など数ヵ寺をのぞいて江戸時代以前に建立されています。その理由の一つに中世の品川湊の繁栄が関係していると考えられています。 (「江戸から明治の品川名所 第5回|品川区 – 品川区 Shinagawa City」より)]

本光寺資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図」(絵図左下付近・目黒川の下、有馬中務大輔下屋敷の左に本光寺が描かれています)

国立国会図書館デジタルコレクション – 品川芝筋白金麻布. [1]」(コマ番号3/8・絵図左下「東海寺」の左下に「本光寺」が描かれています。コマ番号4/8・絵図右下「天竜寺」「大竜寺」「本光寺」「海蔵寺」が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号2/7・絵図中央左上方向「東海寺」上に「天竜寺」「大竜寺」「本光寺」「海蔵寺」が描かれています。)

江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・本光寺大竜寺天竜寺海竜寺

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「本光寺大竜寺天竜寺海竜寺」(4-23)、「経王山本光寺解説・左ページ中程過ぎから」(4-22)、「経王山本光寺解説-2・右ページ左から2行目まで」(4-24)

本光寺 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が本光寺山門です。

カメラ北方向が本光寺本堂です。

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