松平隠岐守中屋敷跡(イタリア大使館)

スポンサーリンク

マーカーはイタリア大使館です。

松平隠岐守中屋敷跡(現イタリア大使館)
[江戸時代、この松平隠岐守中屋敷は、ある有名な歴史的事件の舞台の一つとなった場所です。1703年(元禄16年)2月4日、今日もなお歌舞伎の「忠臣蔵」などで言い伝えられている赤穂義士47名のうち、10名がこの庭で命を散らした場所で、現在、中庭にはこの事件について日伊両国語で刻まれた記念碑が建立されています。徳川幕府が終焉を迎えたあと、この松平隠岐守の中屋敷は、内閣総理大臣をニ回つとめた明治の大物政治家、松方正義の手に渡り、大使館がこの地に移転したのは、1932年(昭和7年)3月のことで、新しい建物の原案は1959年(昭和34年)、イタリアの建築家ピエ-ル=フランチェスコ・ボルゲーゼによって作られ、その後日本の建築家村田政真氏がこれに参加し、新しい官邸は1965年(昭和40年)4月に竣工しました。  (「港区三田エリアのご紹介~第2弾」より)]

大石主税良金ら十士切腹の地
[大石主税良金ら十士切腹の地は東京都港区三田二丁目に存在する史跡、伊予松山城主・松平定直の三田中屋敷であった。元禄16年2月4日(1703年3月20日)、江戸幕府の命令によって以下の赤穂浪士が切腹した地で、現在はイタリア大使館となっており、その碑が昭和14(1939)年に当時駐留していたイタリア大使によって大使館内に建立されている(揮毫は徳富蘇峰による)。命日には、歴代イタリア大使が供養をおこなっている。
1.大石主税(良金)
2.堀部安兵衛(武庸)
3.木村岡右衛門(貞行)
4.中村勘助(正辰)
5.菅谷半之丞(政利)
6.千馬三郎兵衛(光忠)
7.不破数右衛門(正種)
8.大高源吾(忠雄)
9.貝賀弥左衛門(友信)
10.岡野金右衛門(包秀)
松平隠岐守三田中屋敷跡・wikipedia-photo  (wikipedia・大石主税良金ら十士切腹の地より)]

松平隠岐守中屋敷跡資料リンク
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図」(絵図右中付近に松平隠岐守中屋敷が描かれています。)

国立国会図書館デジタルコレクション – 品川芝筋白金麻布. [1]」(コマ番号2/8・絵図四つ切右下、「有馬中務大輔」左に「松平隠岐守中屋敷」と描かれています。)

カメラ南西方向が松平隠岐守中屋敷跡(現イタリア大使館)です。

スポンサーリンク

“松平隠岐守中屋敷跡(イタリア大使館)” への1件の返信

  1. つい昨日、所用でイタリア大使館を訪問して庭園を案内して貰いました。江戸時代から残る森は深閑として、暑すぎてそして長すぎる夏のお陰で、深い緑に覆われていました。
    大石内蔵助を筆頭とする赤穂の10義士が、切腹で果てたと言い伝えられている地は、現在大使公邸の広々とした芝生の庭園の一部で、濃緑色の森林に囲まれ、初秋のしかし強い日差しを浴びて、鮮やかな若草色を発していました。何とも言われぬ感銘を受けました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*