マーカーは法禅寺です。
五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
品川宿図(拡大元画像・絵図中央右方向、北品川宿三丁目上に法禅寺と記述されています。)
法禅寺
[京急本線新馬場駅の北、徒歩3分。旧東海道沿いにある。芝増上寺の末寺で、至徳元年(1384年)言誉上人が法然上人自刻の像を祭って建立したのに始まると伝えられる。幕末の品川台場築造の際に品川御殿山から出土した中世の板碑121基を保存しており、その由来を記した遺墳碑が建てられている。また、境内には天保の大飢饉で亡くなった人の供養搭「流民叢塚碑」があるほか、樹齢約400年と言われるイチョウの巨樹がある。さらに、門の前には「品川小学校発祥之地」の碑があり、寺は数々の歴史を刻んでいる。 (「東京ガイド – 法禅寺」より)]
[浄土宗寺院の法禅寺は、臨海山遍照院と号し、明徳元年(1390)に創建したといいます。東海三十三観音霊場31番札所です。
法禅寺板碑
板碑は、鎌倉時代から戦国時代にかけて造られた石造の供養塔で、関東を中心に広く分布している。石材は、関東では主として秩父産の緑泥片岩(青石)が使われている。当寺の板碑は、品川御殿山から出土したものの一部で、破片を含めて総数121基がある。最も古いのは徳治3年(1308)、最も新しいのは延徳2年(1490)の銘が確認される。これらは、幕末の品川台場の築造の折りに、御殿山の土取場から宝篋印塔・五輪塔とともに出土したもので、遺墳碑はその時の由来を記している。一ヵ所からこれほど大量に出土して保管されている例は、大田区の鵜の木光明寺とともに珍しく、大変貴重である。法禅寺板碑のうち、宝徳4年(1452)銘の阿弥陀三尊種子を刻んだ板碑を品川区立品川歴史館で常設展示しています。(品川区教育委員会) (「猫のあしあと – 法禅寺」より)]
法禅寺資料リンク
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝高輪辺絵図」(絵図左下・「御殿山」下に「法禪寺」が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 品川芝筋白金麻布. [1]」(コマ番号3/8・絵図左下「御殿山」の下に「法禅寺」が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 麻布新堀河ヨリ品川目黒マデ絵図」(コマ番号2/7・絵図左上方向「御殿山」上に「法禅寺」が描かれています。)
カメラ西方向が法禅寺山門です。
法禅寺境内のカメラです。