清水横丁

マーカーは清水横丁です。

清水横丁
[品川宿の入口が八ッ山(やつやま)です。『江戸名所図会』も、品川区域では高輪(たかなわ)を過ぎて品川の入口として八ッ山(谷山)の記述からはじまっています。八ッ山は昔、大日山(だいにちざん)と呼んでいました。その理由は、このあたりに大日如来(だいにちにょらい)の石像が立てられていたことに由来しています。その後、北馬場(きたばんば)(現在の北品川2丁目18番付近)にあった光厳寺(こうごんじ)に収められていましたが、天保(てんぽう)の頃(1830年から44年)には石像の所在は不明になっていたと伝えています。光厳寺は明治中頃に廃寺となっています。
八ッ山から品川宿に入ったところが、歩行新宿(かちしんしゅく)です。歩行新宿は北品川宿の北側に発展してできた町場で、享保(きょうほう)7年(1722年)に新たに品川宿に加わったところです。『江戸名所図会』で歩行新宿の様子を描いた挿し絵に「磯の清水」と題した井戸があります。「この井戸、清泉(せいせん)にして旱魃(かんばつ)にも涸(か)れることがなかった」とあり、清水横町(しみずよこちょう)の名称の由来となっています。今の京浜急行北品川駅南側付近にありました。この清水井戸の水は、自由に汲むことはできず、水屋から買い入れて使用していました。明治末期の『風俗画報』では、歩行新宿について、北は東海道本線品川駅に接し、西側は京浜電車(京浜急行)の停留場を控えていたので、最も繁華なところと書いています。 (「品川区ホームページ-江戸から明治の品川名所 第2回」より)]

[品川宿内には、たくさんの横町がありました。東海道から東に入り、海岸や目黒川河口へ出る横町は浜道とよばれ、その中の「台場横町」・「溜屋横町」・「竹屋横町」・「陣屋横町」と名付けられた横町は、今も地域の人々に広くその名で親しまれています。
「台場横町」の名は、この横町の地先に御殿山下砲台(台場)が築造されたために付けられたもので、今も台場小学校や台場交番にその名を残しています。
「溜屋横町」・「竹屋横町」の由来は伝わっていませんが、「陣屋横町」は、陣屋敷という宿駅の官署があったことからその名がつけられました。
東海道から西に入る横町には、「清水横町」・「大横町」・「黒門横町」・「虚空蔵横町」といった横町があります。
「清水横町」は、横町の奥に井戸があり、磯の清水といわれ旱魃にも涸れることがなかったといいます。
「大横町」は、東海道から御殿山へ登る道で道幅が広かったからといわれています。
「黒門横町」は東海寺の大門が黒塗りであったからだといいます。
「虚空蔵横町」は養願寺の本尊の虚空蔵参りに因んだものです。
また、かつては「天王横町」という荏原神社へ入る横町がありましたが、目黒川の改修で川筋になってしまいました。
東海道を歩くと名のある横町には、地元の有志によって説明板が立てられていますので、史跡めぐりに加えてご覧ください。  (「東海道品川宿のはなし 第4回|品川区 – 品川区 Shinagawa City」より)]

(※品川宿の飲用水について、「品川区ホームページ-東海道品川宿のはなし 第24回」で詳細に紹介されています。)

カメラ南西方向が清水横丁で、横丁左の商店壁に案内板があります。

資料リンク
「江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・磯の清水磯の清水(説明文)

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「磯の清水・左ページに解説」(4-16)

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