一関藩田村家中屋敷跡

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関連リンク – 一関藩田村家上屋敷跡一関藩田村家下屋敷跡

国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP367・コマ番号227/553から一関藩屋敷の変遷について記載されています。P368・コマ番号228/553「中屋敷 愛宕下 芝区南佐久間町二丁目貳番地付近」がこの地になります。

田村邦行
[田村 邦行(たむら くにみち)は、文政3年(1820年)7月23日、陸奥国一関藩6代藩主・田村宗顕の四男として一関にて誕生。幼名は棣之丞。
天保6年(1835年)9月1日、元服し顕允(あきちか)と名乗る。天保11年(1840年)8月23日、兄で7代藩主・邦顕が跡取りを残さず死去したため、その末期養子となり、11月30日に家督を相続して8代藩主となり、行顕に改名。天保12年(1841年)4月25日には邦行へ再改名した。
藩政においては藩校・教成館の再興や医学館、慎成館の創設、西洋式軍隊や砲術の導入、農政改革など、様々な藩政改革を行って多くの成功を収めたため、名君として称えられた。
安政4年(1857年)2月19日死去。享年38。嫡男・通顕(後に宗家・陸奥仙台藩伊達慶邦の養嗣子伊達庸村となる。)が家督を相続した。  (wikipedia・田村邦行より)]

田村邦栄
[田村 邦栄(たむら くによし)は、嘉永5年(1852年)5月20日、陸奥仙台藩一門筆頭・角田石川家13代当主・石川義光の七男として誕生。
文久3年(1863年)10月に陸奥一関藩主・田村通顕(のち伊達茂村)が宗家の仙台藩主・伊達慶邦の養子となったため、通顕の養子となって田村栄顕(よしあき)と名乗る。のちに慶邦から偏諱を受け邦栄に改名する。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では仙台藩と共に奥羽越列藩同盟に参加して薩長軍と戦ったが、敗戦し降伏。12月7日に隠居・謹慎を命じられ、弟・崇顕に家督を譲った。  (wikipedia・田村邦栄より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図(嘉永三年・1850年)」(絵図四つ切左上・土方備中守上屋敷下に田村右京大夫(田村邦行)中屋敷が描かれています。)

国際日本文化研究センター – 五千分一東京図測量原図 : 東京府武蔵国芝区南佐久間町及愛宕町近傍(明治17・1884年)」(地図中央・桜川町の右、毛利邸の左下方向角が一関藩田村家中屋敷跡になります。)

カメラ東北東方向は株式会社日立国際電気でこの建物の西側部分が一関藩田村家中屋敷跡になります。