下妻藩井上家上屋敷跡

マーカーは下妻藩井上家上屋敷跡です。

下妻藩井上家
[下妻藩(しもつまはん)は、常陸国(現在の茨城県下妻市下妻甲)に存在した藩。藩庁は下妻陣屋に置かれた。
正徳2年12月25日、井上正長が1万石で入ったことから、再び下妻藩が立藩する。正長は美濃郡上藩主・井上正任の三男であったが、父から郡上郡内で3000石を分与されて交代寄合旗本となり、徳川家宣甲府藩主の時代からその家老を務め、家宣が将軍後継者となると西の丸御側衆となり、3000石を加増された。そしてその後も順調に加増されて8000石になり、家宣が死去するとその遺命により、正長は2000石を加増されて1万石の大名として下妻藩主となった。井上家は幕末期に浜松藩を領した井上家の分家にあたり、他には上総高岡藩があり、みな明治維新を迎えている。
藩主家である井上家は歴代藩主の多くが短命だったため、14人の藩主のうち、10人が他家から迎えられたという異例の家であり、その点においても藩政は不安定であった。第14代藩主・井上正巳の時に明治維新を迎え、正巳は明治2年(1869年)6月24日の版籍奉還藩知事となる。  (wikipedia・下妻藩より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図(嘉永三年・1850年)」[絵図中央右上に井上遠江守(井上正誠)上屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 八之二(天保九年・1838年)」[コマ番号2/2・絵図上中央に井上遠江守(井上正健)と描かれています。]

カメラ東南東方向道路左側を含む、道路右側一画が下妻藩井上家上屋敷跡になります。