伊勢崎藩酒井家上屋敷跡

マーカーは伊勢崎藩酒井家上屋敷跡です。

伊勢崎藩酒井家
[伊勢崎藩(いせさきはん)は、上野国佐位郡伊勢崎(現在の群馬県伊勢崎市)の伊勢崎陣屋に藩庁を置いた藩。
江戸時代初期に稲垣氏が入封した後、前橋藩酒井家(雅楽頭家)の所領となり支藩が断続的に存在した。天和元年(1681年)に酒井忠寛が2万石で入って以降、廃藩置県まで酒井氏が9代約200年続いた。小藩ながら盛んな文教政策で知られ、藩校のみならず領内には多くの郷学が設けられた。
天和元年(1681年)、前橋藩主酒井忠挙忠清の子)は、弟の酒井忠寛に伊勢崎領2万石を分知した。これにより、前橋藩酒井家の支藩的存在として伊勢崎藩が成立し、幕末を経て明治の廃藩置県まで続くこととなる。なお、本家は寛延2年(1749年)に姫路藩に移封された。
藩政は初代藩主・酒井忠寛の時代に確立する。稲垣氏時代の陣屋は破却されていたため、新たに伊勢崎陣屋を建設した。その後、藩は財政難に陥ったが、3代藩主・酒井忠温(ただはる)の時代に行なわれた藩政改革により再建された。忠温は安永4年(1775年)に藩校学習堂を開くなど文治政策を進めた。以後の藩主も文教政策をすすめ、五惇堂や遜親堂など多くの郷学校を育成したことで知られている。
幕末には本家の姫路藩が佐幕派だったため新政府から警戒されたが、8代藩主・酒井忠強は自ら謹慎することで恭順の意を示した。
明治2年(1869年)6月の版籍奉還により、忠強の跡を継いだ酒井忠彰知藩事となった。  (wikipedia・伊勢崎藩より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図(嘉永三年・1850年)」[絵図上中央右に酒井志摩守(酒井忠恒)上屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 八之二(天保九年・1838年)」[コマ番号2/2・絵図上中央に酒井出雲守(酒井忠恒)と描かれています。]

カメラ位置は新橋三丁目交番前交差点で、カメラ南南東方向ほぼ一画が伊勢崎藩酒井家上屋敷跡になります。