会津藩松平家中屋敷跡(汐留西公園イタリア街)

マーカーは汐留西公園です。

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会津藩松平家中屋敷
[汐留西公園イタリア街を中心としたエリア、浜離宮恩賜庭園 中の御門橋から東京消防庁 芝消防署北側道路までが会津藩松平家中屋敷でした。会津藩加藤家改易後の寛永20年(1643年)、出羽山形藩より3万石加増の23万石で保科正之が入部し、以後会津藩は会津松平家(保科家)の支配が定着します。保科正之は第2代将軍徳川秀忠の落胤で、第3代将軍家光の異母弟で、家光の信頼を受けて幕政に重きをなし、家光没後、11歳の家光の嫡子家綱が第4代将軍になると、正之は叔父として後見を務めました。なお、正之は山形藩主時代に保科家の家宝類を保科家の血を引く保科正貞に譲って、徳川一門として認められており、正之は幕府より葵紋の使用と松平姓を称することを許されていましたが、正之は保科家の恩義と家臣に対する心情を思いやって辞退しています。正之の没後、藩主の座は子の正経、そしてその弟の正容が継ぎ、正容の時代に姓を松平に改めて葵紋の使用も許され、名実共に徳川一門としての会津松平家が誕生しました。
第8代容敬は養子藩主でしたが、英明な藩主で親政して改革を行ない、幕末における会津藩の基礎を築き上げています。容敬は嘉永5年(1852年)2月に死去し、容保が第9代藩主を継いで幕末の動乱期を迎えます。
歌川広重の江都勝景に芝新銭座之図があり、この絵は会津藩松平家中屋敷の表門付近の情景を描いています。芝新銭座は現在の東京消防庁 芝消防署辺りになります。芝新銭座之図右側の傘が描かれている町家は露月町になります。
国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸勝景〕(作者 歌川広重)」より

国立国会図書館デジタルコレクション – 青標紙(コマ番号19/57)」より

歌川広重「江都勝景 芝新銭座之図」の表門の形は、「青標紙」左上の形になります。]

[青標紙(あおびょうし)とは、江戸時代後期の幕臣・国学者の大野広城(権之丞・忍軒)が著した武家故実書。全2巻で、前編は天保10年(1839年)に成稿され翌年出版。後編は天保11年(1840年)に成稿されて翌年出版。
概要
江戸幕府に仕える武士に必要な知識である武家故実についてを編集して懐中用の小型折本としたもの。武家諸法度・御定書・軍令・軍役・勤番・武具・行列・関所通行・服制・鷹狩などに関する諸規定から成り、しばしば発生する疑問やそれに関する回答について老中や目付に対する伺書の書式を用いて解説している(書札礼の役目も兼ねる)。当時、江戸幕府は法令が一般に知られることを固く禁じていたため、大野も慎重を期して「300部限定」として刊行している。だが、大野の武家故実の研究がその規定に反する疑いが先著である『殿居嚢』・『泰平年表』刊行の段階で持たれており、『青標紙』の刊行で武家諸法度などの法令を掲載したことが決定的な証拠とされて、天保11年(1840年)6月9日大野は綾部藩永預となり、著書は発行禁止とされ、刊行に関わった版元なども処分された。同年9月11日に大野は配流先にて憤死している。だが、刊行された書を完全に回収することは出来ず、大正時代に刊行された『江戸叢書』によって全容を知ることが可能である。  (wikipedia・青標紙より)]

汐留西公園
[汐留西地区内の、イタリアをイメージして作られた街「汐留シオサイト5区イタリア街」の中央にあり、街の広場として利用されています。また、公園の広場内に、転車台の最下段の切石を輪郭部に使用した、転車台のデザインが再現されています。
旧新橋停車場機関車用転車台について
汐留地区の開発計画の際に行った遺跡発掘調査によって、駅舎の基礎やホーム、機関車の方向転換用の転車台など様々な施設の跡が発見されました。転車台は、直径12.5mほどで、明治5年6月20日に竣工し、大正3年前後まで使用されたと考えられています。  (「港区ホームページ/汐留西公園」より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図(嘉永三年・1850年)」[絵図中央右・濱御殿左「松平肥後守」中屋敷が会津藩松平家中屋敷です。]

国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国京橋区木挽町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治17・1884年)」(地図左下・露月町二丁目右の水路から下方向が会津藩松平家中屋敷跡になります。)
国際日本文化研究センター – (内題)東京府武蔵国芝区芝濱崎町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治17・1884年)」(地図左上・東京馬車鉄道会社のエリアが会津藩松平家中屋敷跡になります。)

汐留西公園 – Google Map 画像リンク」「イタリア街 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向が汐留西公園です。