佐賀藩鍋島家中屋敷跡(元国立印刷局)

マーカーは元国立印刷局です。

関連リンク – 佐賀藩鍋島家上屋敷跡

国立印刷局
[印刷局に繋がる組織が出来たのは、1869年に長崎製鉄所に本木昌造の活版伝習所が作られたときに始まる。本木はのちに長崎製鉄所を離れ、新街私塾に移るが、長崎製鉄所に残った組は、長崎製鉄所が工部省に引き継がれた後、勧工寮となり、最終的に明治4年に創設された大蔵省紙幣司などと合併するなどの変遷の後、現在形になるのは1875年、正院印書局が廃止されて大蔵省紙幣寮活版局となったのちである。なお、当時政府の印刷工場が紙幣を印刷し、国立銀行に発行機能を持たせるとする構想から、紙幣寮から印刷局の初期にかけては銀行の監督業務も職掌としていた。1877年に紙幣局、1878年印刷局に改称(この時に銀行業務を分離)、一時期内閣直属になったが後に復帰、1949年(昭和24年)6月1日から1952年(昭和27年)7月31日まで印刷庁(長は長官)と称したのち再び大蔵省印刷局に改称、2003年4月、大蔵省から替わった財務省印刷局を改組し今の形となった。初代紙幣頭は澁澤榮一、初代印刷局長は得能良介
2014年11月4日 – UR都市機構の虎ノ門二丁目地区市街地再開発事業に伴い、旧虎の門工場を閉鎖。本局を共同通信会館の7、8階に移転。  (wikipedia-国立印刷局より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図(嘉永三年・1850年)」[絵図左上・溜池右下・松平肥前守が佐賀藩鍋島家中屋敷です。]

東京図測量原図 : 五千分 – 内題)東京府武蔵国芝区南佐久間町及愛宕町近傍(五千分一東京図測量原図のうち)(明治17・1884年)」(地図左上・工部省が佐賀藩鍋島家中屋敷跡になります。)

カメラ北東方向が佐賀藩鍋島家中屋敷跡(元国立印刷局)です。(画像は2014年6月で、解体前の国立印刷局画像です。)

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