マーカーは増上寺・御成門です。
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増上寺、増上寺(熊野神社)、増上寺(め組供養碑)、増上寺(鐘楼堂)、増上寺圓光大師堂(旧景光殿・旧広書院)表門、増上寺(徳川将軍家霊廟)、台徳院霊廟惣門、芝東照宮、有章院霊廟 二天門、大門
増上寺・御成門
[東京都港区芝公園3にある増上寺・御成門は増上寺の裏門であったが、将軍が参詣する際にこの裏門がもっぱら用いられたので、御成門と呼ばれるようになった。
もともと御成門交差点にあったが、明治25年(1882年)に東京市区改正計画に基づいて現在では日比谷通りと呼ばれる道路が新設された際に、現在の東京プリンスホテルの駐車場脇に移転した。 (「増上寺・御成門(芝公園) – フォートラベル」より)]
[「桜川」は、江戸城の「外濠」から、現在の港区虎ノ門一丁目1番と西新橋一丁目6番の境辺りで分岐して、愛宕下へ流れ、この辺りで、四谷辺り(現・新宿区若葉一~三丁目)から赤坂へ出て、溜池の縁を流れて来た「赤坂大下水」が合流していました。その先は芝を流れ、途中で、二方に分かれ、一方は東へ折れて浜御殿(現・浜離宮庭園)の脇で芝の海へ入り、もう一方はそのまま少し南へ行って、東へ向かってから南へ鉤の手に曲がり、大門の前を流れて金杉川(現・古川)に流れ込み、末は芝の海へ流れ込んでいました。ですから、四谷・赤坂辺りの下水が芝の海へ出ていたことになります。
今も古川に架かる「将監橋」の北詰西側に公共下水道の「芝幹線」からの雨水吐口が見られますが、これなどは「桜川」が「金杉川」に合流していた名残と言えるでしょう。 (「江戸下水道散歩 弐拾|東京都下水道局」より)]
玉川上水樋管
「玉川上水留. [88] 玉川上水増上寺掛并役寮掛共樋枡御普請一件 文久元酉年九月より同二戌年五月 御普請方 分冊ノ一」(103~105/168・増上寺方丈の玉川上水樋管が描かれています。)
「玉川上水留. [89] 玉川上水増上寺掛并役寮掛共樋枡御普請一件 文久元酉年九月より同二戌年五月 御普請方 分冊ノ二」(43,44/140・増上寺方丈の玉川上水樋管が描かれています。)
「玉川上水留. [90] 玉川上水増上寺掛并役寮掛共樋枡御普請一件 文久元酉年九月より同二戌年五月 御普請方 分冊ノ三」(66/139・増上寺方丈の玉川上水樋管が描かれています。)
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図」(絵図中央付近・増上寺上に御成門と方丈が描かれています。)
カメラ南方向が増上寺・御成門です。現在の御成門南側に増上寺本坊があり、本坊の御成門は南側にありました。