天徳寺

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天徳寺
[天徳寺(てんとくじ)は、東京都港区にある浄土宗の寺院。
1533年(天文2年)、三蓮社縁誉称念によって開山された。元々は紅葉山(現・皇居内)に位置していたが、江戸城拡張工事により霞が関に移転し、1611年(慶長16年)に現在地に移転した。
幕末期の1859年(安政6年)に、ロシア帝国東シベリア総督ムラヴィヨフが日本に来航し、北蝦夷地(サハリン島)の国境画定の談判を当寺で行っている。当寺は関東大震災空襲に遭っているため、ムラヴィヨフにまつわるものは残っていない。  (wikipedia・天徳寺より)]

[浄土宗の天徳寺は、光明山和合院と号し、天文2年(1533)紅葉山に開創、慶長16年(1611)当地へ移転しました。元和元年徳川家康公(1615)より50石の、元和9年(1623)に二代徳川秀忠公より100石の朱印を賜った御朱印寺で、浄土宗江戸四ヶ寺の一つとして触頭を勤めていました。江戸三十三観音霊場20番札所です。
弥陀種子板碑
板碑は、鎌倉時代から戦国時代にかけて各地で造られた板状の石造物で、本来は先祖の供養など民間信仰によって立てられた塔婆の一種である。鎌倉時代には地方豪族や僧侶によって立てられたが、南北朝時代以後は庶民にまで広がり、その造立も民間信仰と密接に関連し、本来の仏教的色彩は薄れた。
本板碑は、緑泥片岩(秩父青岩)の一尊種子板碑で、高さ68センチ、幅29センチ、頭部を山形に造り、その下に二段の切り込みを入れ、身部の幅は同等で変わらない。身部上半に蓮華座上に梵字「キリーク」(阿弥陀仏9を異字体で表し、下半には「永仁6年7月日」(西暦1298年)の銘を刻む。梵字が分断直裁の薬研彫でやや浅く、年が草体で記されており、時代の特徴をよく示している。
鎌倉時代の造立刻銘をもつ種子板碑の典型であり、港区内には稀少な存在である。(港区教育委員会)  (「猫のあしあと」より)]

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カメラ西方向が天徳寺山門です。