宇土藩細川家中屋敷跡

マーカーは宇土藩細川家中屋敷跡です。

関連リンク – 大村藩大村家上屋敷・宇土藩細川家上屋敷跡(国立国会図書館東京本館)宇土藩細川家下屋敷跡

細川行芬
[細川 行芬(ほそかわ ゆきか)は、文化7年(1811年)、肥後国宇土藩7代藩主・細川立之の次男として誕生。幼名は熊之丞、初名として之寿(ゆきひさ)を名乗っていたが、のちに初代藩主行孝の偏諱を取って行芬に改名した。
文政9年(1826年)4月4日、宇土藩主だった兄の立政(改名して斉護)が宗家の熊本藩を相続するのに伴い、宇土藩家督を相続する。文政10年(1827年)10月1日、11代将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下・中務少輔に叙任する。嘉永4年(1851年)5月24日隠居し、次男・立則に家督を譲った。  (wikipedia・細川行芬より)]

細川行真
[細川 行真(ほそかわ ゆきざね)は、天保13年(1842年)9月2日、9代藩主・細川行芬の五男として誕生。文久元年(1861年)5月、兄で10代藩主・立則の養子となり、文久2年(1862年)1月21日、兄が隠居したため跡を継いだ。文久3年(1863年)4月10日に従五位下、大和守に叙任し、文久4年(1864年)2月10日に豊前守に転任する。
慶応元年(1865年)、学問所である樹徳斎を創立して、学問を奨励した。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、高瀬藩と共に新政府に与して大原口警備を務めた。明治3年(1870年)9月4日、宇土藩は廃藩となり、行真は所領の10分の1である3000石の家禄を与えられて東京へ移住する。このとき、宇土藩領は熊本藩に吸収された。  (wikipedia・細川行真より)]

国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図(嘉永三年・1850年)」(絵図四つ切左上・松平隠岐守上屋敷左上方向に細川豊前守(細川行芬)中屋敷が描かれています。)

国際日本文化研究センター – 五千分一東京図測量原図 : 東京府武蔵国芝区南佐久間町及愛宕町近傍(明治17・1884年)」(地図四つ切右下・東京鎮台会計倉庫上の次の道南側、左角から2軒目が宇土藩細川家中屋敷跡になります。)

カメラ西北西方向突当り手前が環状2号線で、道路両サイド環状2号線までが宇土藩細川家中屋敷跡になります。