マーカーはサントリーホールです。
関連リンク – 川越藩(前橋藩)越前松平家上屋敷跡(現ホテルオークラ東京本館、大倉集古館)、川越藩(前橋藩)越前松平家下屋敷跡、川越藩(前橋藩)越前松平家抱屋敷(砂村新田跡)
サントリーホール
[サントリーホール(Suntory Hall)は、東京都港区赤坂一丁目にあるコンサートホール。アークヒルズの一画に1986年10月12日に開館した。森ビルが所有し、公益財団法人サントリー芸術財団が運営する。
東京初のクラシック音楽コンサート専用ホールである。多くの来日オーケストラや著名なソリストの東京圏に於ける公演が行われている。大ホールは舞台後方にも客席があるヴィンヤード型コンサートホールであるが、座席の配置上、本格的舞台装置や背景を必要とする伝統的なオペラやバレエは上演できない。
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、東京ニューシティ管弦楽団を除くすべての在京プロ・オーケストラがここで定期演奏会を行う。
「ホール・オペラ」という独自のオペラ上演形態(本格的な舞台装置や照明は用いずに演奏する方式で、基本的には一般に「演奏会形式」と呼ばれている上演方式の一種)を生み出すなど、開館以来日本のクラシック音楽業界を牽引し続けているホールの一つである。
建物の前の広場はホールの設計にアドバイスを与えたヘルベルト・フォン・カラヤンの名に因んで「アーク・カラヤン広場」と名付けられている。建物の屋上は緑化され、アークガーデンの一部を構成している。
サントリーホール・wikipedia-photo、建物正面・wikipedia-photo、アークカラヤン広場・wikipedia-photo、「2009年11月、バラク・オバマが講演した大ホール」・wikipedia-photo (wikipedia・サントリーホールより)]
「Suntory Hall – サントリーホールホームページ」 – 「館内マップ」
[霊南坂教会は、1985年(昭和60年)、アークヒルズ開発に伴い移転、現在の新会堂が建設された。 (wikipedia・霊南坂教会より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 赤坂絵図(嘉永三年・1850年)」(絵図四つ切右上の松平大和守(川越藩松平家)上屋敷があり、その左下に中屋敷が描かれています。中屋敷左の井上宗三郎屋敷地を含めサントリーホールになります。また、戸田采女正(大垣藩戸田家)上屋敷がANAインターコンチネンタルホテル東京のようです。井上宗三郎下に描かれている、明福寺は現在東京都港区三田4-4-14に移転、その下の正善寺(観行寺)は明治15年(1882年)に廃寺とされました。)
[明治15年(1882年)には当時麻布谷町(現・港区六本木一丁目付近)にあった観行寺(正善寺とも)が廃寺になったことに伴って本尊の不動明王像(秘仏)と前立の不動明王像が最勝寺に遷された。この不動明王像は江戸五色不動の1つの「目青不動」と呼ばれるが、「五色不動」の呼称自体が近代に入ってからのものであることが指摘されており、正確な造像事情は不明である。 (wikipedia・最勝寺_(世田谷区)より)]
「国立国会図書館デジタルコレクション – 〔江戸切絵図〕. 赤坂絵図(嘉永3年・1850年)」[絵図右中央付近、松平大和守(川越藩松平家)上屋敷の左下に中屋敷が描かれています。その、中屋敷左側と井上壽一郎屋敷がサントリーホールのようです。また、戸田采女正(大垣藩戸田家)上屋敷跡がANAインターコンチネンタルホテル東京のようです。]
「国際日本文化研究センター – (題箋)番地入東京市赤坂區全圖(明治40・1907年)」(地図四つ切右下・溜池霊南坂町の17番地から29番地までが川越藩松平家中屋敷跡になります。)
カメラ位置はスペイン坂で、カメラ北北東方向がアーク・カラヤン広場、サントリーホールになります。
アークヒルズ アーク森ビルのストリートビューで、カメラ位置はアークカラヤン広場です。カメラ南東方向がサントリーホールエントランスです。
サントリーホールエントランスのストリートビューです。
サントリーホール小ホールのストリートビューです。
サントリーホール大ホールのストリートビューです。