心光院

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マーカーは心光院です。

心光院
[当院は増上寺の学寮として開設され、増上寺が貝塚(現・千代田区紀尾井町あたり)から現在地へ移転した時に、切り通しの涅槃門付近(現・芝高校あたり)に配置されました。宝暦11年(1761年)9代将軍徳川家重霊廟造営のため赤羽橋北詰西側に移転、昭和25年(1950年)現在地に移りました。
戦災を免れた表門は国の有形文化財に登録されています。
本堂左脇にお竹大日如来像と流し板を祀ったお竹大日堂があります。
寛永年間(1624~1643年)江戸大伝馬町の名主佐久間勘解由(かげゆ)家の下女お竹は庄内(山形県)出身で、愛しみの心が深く、朝夕の自分の食事を貧しい人に施し、自らは水盤の隅に網を置いて、洗い流しの飯が溜まったものを食料にしたといいます。この話を聞いた五代将軍綱吉の生母桂昌院は、いたく心を動かされ、金欄の布に包まれた立派な箱にお竹さんが当時使っていた流し板を納めて、増上寺の別院であった心光院に寄進し、その徳光を顕彰したそうです。  (「増上寺芝山内の子院めぐり⑤の3《心光院》 @東京都港区 – ゆる …」より)]

[1763 年に造られた表門は国の登録有形文化財。一間一戸の四脚門で、切妻造瓦葺、朱塗の門である。
1955 年に造られた本堂は向拝(こうはい)の紅梁(こうりょう)や 蟇股(かえるまた)、内部の欄間などに、戦後独特の繊細な意匠が見られる。
境内にはお竹大日如来があり、寺は「江戸名所図会」にも描かれている。  (「歴史散策マップ麻布台・麻布狸穴町・麻布永坂町・東麻布 – 港区」より)]

心光院 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向が心光院山門です。

資料リンク
「江戸名所図会」(画像は国立国会図書館ウェブサイトより取得)・赤羽心公院竹女故事

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図」・「赤羽心公院」(3-30)、「竹女故事」(3-31)、「心公院解説・右ページ中程から」(3-28)

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