マーカーは新橋玉木屋です。
新橋玉木屋
[新橋玉木屋の歴史は、江戸時代、天明二年(1782年)に始まります。 この年、越後国 通称・玉木村の七兵衛が江戸片側町(現在の新橋一丁目)に小さな店を構え、 郷里の名にちなんで玉木屋と屋号を称しました。当時は家伝の「座禅豆」で知られていましたが、時代が進み、三代目七兵衛のとき佃島の 漁民が小魚を煮て売っていたことに着想し、独特の風味を添えた「つくだ煮」を創りあげたのです。「つくだ煮」は「座禅豆」とともに、当時最も華やかに開花していた江戸文化の中で 粋な通人たちの好みに合い、それまでにもまして新橋玉木屋の名は江戸八百八町の隅々に まで広まっていきました。
佃煮のおはなし
江戸時代の初期、摂津国「佃村」という小さい漁村の漁民たちは、大阪の陣の活躍などにより、徳川家康から全国どこでも無税で漁が出来る権利を与えられました。漁民たちは、その恩に報いるため、年に一度幕府へ魚を献上していましたが、いっそ江戸へ 移住しようということになり、名主孫右衛門以下30余名が隅田川河口の中州(現在の東京都中央区 の南東部に位置する隅田川左岸あたり)に移り住み、そこを故郷の村の名をとり「佃島」と名づけました。その後、諸侯へ納める魚の残りの雑魚を醤油で煮て、自家製の惣菜として近所で売ってみたところ、保存がきいて、値段も安いと評判になり、佃島の名をとって「佃煮」と呼ばれるようになりました。やがて佃煮は江戸幕府御用達にまで昇格し、参勤交代の大名たちの江戸土産として重宝されるようになるのです。 (「新橋玉木屋-新橋玉木屋のおはなし、佃煮のおはなし」より)]
カメラ北方向が新橋玉木屋です。