日出藩木下家上屋敷跡

マーカーは日出藩木下家上屋敷跡です。

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東京市史稿. 市街編49(1960年東京都出版)」の「江戸藩邸沿革」のP915・コマ番号501/553から日出藩屋敷の変遷について記載されています。「上屋敷 愛宕下藪小路」がこの地になります。

日出藩木下家
[日出藩(ひじはん)は、豊後国速見郡に存在した藩。拠点は速見郡日出。居城は日出城。藩主は木下家であった。
藩祖は豊臣秀吉の正室・高台院(於禰)の兄・木下家定の三男である木下延俊である。延俊は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いのとき、東軍で終始活躍した功績により戦後、徳川家康から5千石加増の豊後国速見郡日出3万石に封じられた。なお、父の家定も延俊とは別に所領を与えられ、備中国賀陽郡足守(賀陽郡・上房郡2万5千石)に足守藩を立てている。
延俊の子で、第2代藩主となった木下俊治の時代、弟の木下延由に5000石(速見郡立石)の所領を分与したため、日出藩の所領は2万5000石となる。江戸時代を通じて移封も減封もされることなく、16代にわたって木下家は日出を支配し、明治時代を迎えた。  (wikipedia・日出藩より)]

国際日本文化研究センター – (内題)増補改正芝口南西久保愛宕下之圖、(題簽)芝愛宕下繪圖 全(万延2・1861年)」[絵図四つ切左上に京極佐渡守上屋敷下に木下飛騨守(木下俊程)上屋敷が描かれています。]

国立国会図書館デジタルコレクション – 御府内往還其外沿革図書. 八之二(天保九年・1838年)」[絵図左上加藤能登守(京極高朗)と描かれています。]

カメラ位置は西新宿交番前交差点で、カメラ北西方向角が虎ノ門砂場で、カメラ方向一画が日出藩木下家上屋敷跡になります。また、左道路が愛宕下藪小路になります。