栄閑院

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マーカーは栄閑院です。

栄閑院
[地下鉄神谷町駅の北東,徒歩3分。寛永年間(1624~1643年)に、久蓮社俊誉園應和尚により天徳寺塔頭として創建された。
  江戸時代、この寺に猿回しの泥棒が逃げ込んで住職に説教されて改心し、諸国行脚の巡礼に出た後、寺で預かった猿が芸を見せるようになって「猿寺」とも呼ばれた。境内には寺門を入った右手にその言い伝えにちなんだ猿塚があり、本堂前には猿の像がある。
  また、向かって本堂の右脇には蘭学者杉田玄白の墓がある。杉田玄白は前野良沢らと『解体新書』を翻訳し,『蘭学事始』を著し,蘭学の祖としてよく知られる江戸時代中期のオランダ外科医。墓は明治41年(1908年)に再建されたもので,「九幸杉田先生之墓」と記されており、東京都の史跡に指定されている。  (「PORTAL TOKYO 東京ガイド 港区 栄閑院」より)]

杉田玄白墓(栄閑院 猿寺)
[所在地 港区虎ノ門3-10-1
 杉田玄白(1733~1817)は江戸中期の蘭方医、蘭学の祖である。若狭国小浜藩の藩医杉田甫仙の子、名は翼、字は子鳳、号は鷧斎、九幸翁など。江戸に生まれ、西玄哲に外科、西幸作にオランダ外科を学んだ。前野良沢、桂川甫周らとオランダ語解剖書を翻訳した『解体新書』は日本医学史上画期的な文献である。文化12年(1815)に脱稿した『蘭学事始』は『解体新書』翻訳の苦心談を回想した点で有名である。このほか「形影夜話」「野叟独語」などの著書がある。 昭和43年(1968)3月1日建設 東京都教育委員会  (「東京都港区の歴史 – 杉田玄白墓(栄閑院 猿寺)」より)]

栄閑院(猿寺) – Google Map 画像リンク

カメラ南南東方向が栄閑院山門です。

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